松本佳彦のノート

『ある数学者の弁明』を翻訳してみます

2013年4月28日

20世紀前半のイギリスの数学者G. H. ハーディ(1877–1947)がその晩年に書いた『ある数学者の弁明』という本があります。すでに出版されている日本語訳もあるのですが、もう著作権保護期間が終わっているようなので、フリーの翻訳をつくりはじめてみました。柳生孝昭訳の『ある数学者の生涯と弁明』も、もちろん参考にしています。

ゆっくり訳していきます。ライセンスはCC BY-NC-SA 2.1 JPとします。

[2017年5月4日追記]この翻訳は2016年11月13日に完成しました。ここで公開しています


この短い本の中でハーディが説明するのは、「数学を真剣に研究することの価値」や「数学者という人生の持つ意味」についての彼の考えです。

第1節の初めのパラグラフを読んだ人は、たぶん、そのストレートな物言いにぎょっとするでしょう。全体としては、いかにもイギリス風の物静かなエッセイではあるのですが、率直すぎるのではと言いたくなるような表現をときおり使いながら、ハーディは彼の問いに迫ります。

「そう一概には言えないよな」と反発する気持ちを覚えたり、「でも本当のところ、そうかもしれない」と思い直したりしているうちに、ハーディの語りを牽引している「可能なぎりぎりの認識に到達したい」という意思が、全身で感じられてきます。だから、実はこの語り自体が、「『数学の目指す創造』とはどんなものか」ということを、実地で伝えていると言えるのかもしれません。この作品、もっと人目に触れてほしいと思います。