松本佳彦のノート

素直であること

2019年6月1日

「J. K. ローリングさんはエディンバラのとあるカフェで『ハリー・ポッターと賢者の石』を書いたんだ」という話を聞くと、「カフェで長時間にわたって何か作業をしててもいいのが文明国だよね、その点日本はなあ」とうっかり思ってしまいそうになる自分がいるが、ニューヨークにだって「ラップトップお断り」と表に書かれたカフェがあった。もっとも「長時間」がいけないというより、ノートパソコンがカフェの雰囲気を壊すのがいやだということかもしれない。ともあれ、「空気を読め」というのは、別に日本特有でもなんでもなく、実感としてアメリカには確実にあるし、たぶん、きっと「どこにでもある」のではないだろうか。ただおそらく読むべき空気の質には違いがある。「どう違うのか」を言語化するのは簡単ではなさそうだが、できると面白い。

一方で、「ローリングさんは生活保護を受けながら『賢者の石』を書いたんだ」という話もある。「生活保護を受けながらカフェで小説を書いていてもいいのが文明国だよね」というのは、これは真剣にそう思う。そして生活保護を受けながら大学進学も当然できるのが文明国だというべきだろう。この点でもまた、アメリカだって文明国とはいえない——学費が高すぎる、というたいへん大きな問題がある。しかしそれはともかく、日本にはいまいち「収入や財産が少なくたって大学に行けるべき、社会はそうあるべきだよね」という素直な雰囲気が漂っていない、ような気がする1

もちろん社会の抱える経済的な制約というのがあるけれど、それはいったん置いといて、「素直である」ことができないだろうかと思う。「いったん置いといて」というのが難しいところで、たぶん無垢とか無邪気とかにもとづく素直さではだめで、知性というか、「いろんな世界があることを知っており、またここにない世界を想像できること」が必要なんだろう。

  1. その結果といっていいと思うが、日本で生活保護家庭の子供が大学に行こうとすれば「世帯分離」の手続きが(まだ)必要だそうだ。この手続き自体は一種の救済策として導入されたものではあるようだが、それでも、なくなって然るべき負担だろう。NPO法人もやいのWebサイトの記事が興味深い。