松本佳彦のノート

パリにいます

2015年4月26日

昨年11月末から、研究のためパリに滞在しています。

エコール・ノルマル・シュペリウール(École normale supérieure、略してENS)という大学に通っています。正確には「大学」じゃなくて「グラン・ゼコール」が正しいらしいんですが、まあいいでしょう。このENSという学校は日本語では「高等師範学校」と呼ばれています。ちなみにこれは日本では、筑波大学の前身である東京教育大学のさらに昔の名前でもあって、個人的にちょっと親しみがあります。

所在地はカルティエ・ラタン(「カルチェ・ラタン」と書くほうが普通?)、つまり「ラテン語(を解する人々)の地区」=文教地区で、徒歩圏内には他にもいくつかの大学があります。ソルボンヌ大学とか。はたして今でも、大学の人たちはラテン語を読み書きできるのだろうか。そんなことはなさそうに思えるのだけど。

フランス側で研究員として雇われているわけではなく、日本側でポスドク(つまり任期制の研究員)としての給与をもらいながら、長期出張という形式をとって来ています。ポスドクにもいろいろありますが、自分の場合は昨年度から比較的自由の利く立場になったので、今回、出かけてくることができました。

実は全体の滞在期間は7か月で、すでにそのうち5か月が過ぎました。このまま何も書かないでいたら、パリでの初エントリーが「帰ります」になってしまうところだった。

さて、若手の研究者たちは、たとえ日本を本拠地にするとしても、さまざまな事情の許すタイミングを見つけ、ある程度長い期間海外で仕事をしようとします。もちろん全員ではないですが、限られた見聞に基づく印象だけで恐れず言ってしまうなら、若手研究者のうち半分くらいは、海外での長期滞在を真面目に検討するのではないかと思います。

これは、ほとんど文化みたいなものです。きっと昔からそうなんだと思います。そこにはどのような意味があるんでしょう?

出かける本人がその当初に思い描く明らかな目的としては、「自分が深めたい分野に関して、迫力のある仕事をしている先輩研究者と直に知り合う」というのがあります。研究成果は論文や著書で発表されるものですが、どうしたって口伝の部分はあります。そういうところを教わってくる。あるいは、やり方を生で見てくる。「いいもの」を知る。実際にしばらく過ごしてみて、そういう体験は多少なりとも得ました。

一方、事前にははっきり予期してはいなかったのだけれども、来てみて実感したこともあります。

それは、研究というものの本質的な無国籍性とでも言うべきこと。少なくとも研究に関する限り、取っ掛かりの探し方とか、悩み方とかいったことは、どの土地でも変わらない。そこには人による違い以上のものはない。

これは「薄々わかっていたこと」ではあるのですけれど、研究集会みたいな「向かい合う」場ではなくて、問題を共有して「同じ方向を向きながら考える」場を多く持つ経験を通じて、その確信の度合いが深まったことは、もう一つの「成果」であると言っていい気がします。

研究というものは、異なる背景を持つ人のあいだのチャネル(通信経路)になり得るということだと思うのです。「異なる背景を持つ」というのは必ずしも国や地域だけの問題ではなく、同じ場所に暮らしていながら何らかの意味で分断されているというのもそうです。さらに、生まれる時代の違いさえも含めていいでしょう。

それはもしかしたら、社会に研究というものが存在する一番の意義かもしれない。最近そう思っています。