松本佳彦のノート

2020年授業戦記

2020年12月31日

2020年はこれから数十年間、新型コロナの年として全世界で記憶されていくのだろう。2021年も、苦しみ続けるのか克服へと向かうのかはわからないが、いずれにせよ「2年目」として記憶されるだろう。2022年が「3年目」にならずにすむといい。

さまざまな人が各々の立場で必死に対応をしているけれど、自分は大学教員であり、大学の授業1を実施するという面でとくに頭を悩ませることになった。その記憶をとどめておくため、覚え書きを書いてみたい。

2月

2月半ばに、筑波大で2日間を、それからソウルの高等科学院(KIAS)を訪ねて6日間を過ごした。これが現時点で最後の出張だ。そのころ韓国では、新興宗教団体の儀式によって大規模な感染者のクラスターが発生していた。日本ではダイヤモンド・プリンセス号での集団感染が起こり、困難な対応が続き、ようやく一部乗船者の下船が認められることになった時期だった。

ソウルに着いた次の日に、KIASの方針が「日本からの来訪者は、中国からの来訪者と同様に14日間隔離して経過観察」というものになった。自分が巻き込まれなかったのは本当にありがたかったが、昨日の入国者と今日の入国者に本質的な差異はない。それでも扱いが大きく違ってしまうことに多少の戸惑いがあった。KIASではまだ毎日のティータイムが開かれており、ドーナツやフルーツなどが振る舞われていたが、その後しばらくして中止されたと聞いた。

そういえば、筑波大での日程の直前に『数学セミナー』4月号に載った記事の締め切りがあって、新幹線の中で最後の最後の推敲をしていた。その文章の中では「Zoom」に言及するのが自然な箇所があり、でも当時は注釈無しに通じる言葉ではなかったので、説明を長々と書くのを嫌って「Skype」とすることにしたのだった(それでも嘘ではなかった)。数か月後に書くのだったら「Zoom」にしただろう。こうして、「コロナ以前」の刻印が文章の中に残ることになった。

KIASでは研究成果の報告のほかに、Three W’s Seminarなるセミナーで非専門家向けの(ここでは「数学者、物理学者ならわりと楽しめる」程度の意味)発表があり、Cartan接続という概念について、VRゲームにおける入力装置と仮想空間での運動との関係になぞらえて説明した。有名なのは「ハムスター・ボール」になぞらえる説明なのだが(たとえばこれ)、それは好ましくない先入観のもとでもあるように思い、「好ましくない」要素を取り除こうと考えた結果がVRゲームである。この説明はどこかに書いておかなければならない。しかし発表原稿はどこに行ったのだろう。

3月

大阪大学の数学専攻ではこの4月が専攻長交代のタイミングで、当時の次期専攻長(つまり現専攻長)は3月初めの雑談で「新学期が通常通り始められることを本当に願っていますが」と言っていた。「まだそんなことを言っていたのか」と思う人もいるだろうが、3月初めというのはそれでもおかしくない時期だった。だが、アメリカでオンライン授業が行われ始めたという話は耳にしており、自分もやることになるかもしれないと心の準備をしていた。3月30日のUSA Todayの記事でその頃のアメリカの状況が読める。この記事にもあるようなZoom爆撃(Zoombombing)とよばれる荒らし行為はひとつの不安の種だった。

時間が経つにつれてオンライン化は不可避という雰囲気が濃厚になっていったが、現実的にはよくわからないことがいろいろあった。

これらのうち、2点目については、通信量を抑えられるような方法のひとつとして、3月27日に学習院大学の田崎晴明さんがラジオ講座風の授業のサンプルを公開された。具体的な実現例がひとつあることはとても重要で、田崎さんのサンプルに助けられた教員は多かったと思う。ありがとうございました。

Zoomで授業をやるための個人的な練習も3月27日にやった(もっと早い時期だった気がしたが、調べたらそんなことはなかった。記憶は美化される)。これで「ラジオ講座風授業」、「Zoomなどを用いたリアルタイム動画授業」、「動画のオンデマンド配信による授業」という手段は揃ったことになった。

こういったものが「大学の授業」として認められるための法的な問題もあった。3月24日の文科省通知によって、まず授業期間の弾力的取り扱いが認められ、そしてオンライン授業が広く許容されること(これは法解釈の問題なのだろうか? たぶんそう)が示された。それを受けた3月26日の総長通知により、授業日程は1年生を除き当初の予定通りで、1年生はだいたい2週遅れで開始、ただしいずれも4月末までは原則オンライン授業と決まった。

3月30日の数学教室(=数学専攻および関連部門)の全体会議で、情報共有と対応の話し合いがなされた。全学教育推進機構(阪大で初年次教育を統括する部局)の作成した「オンライン授業実践ガイド」が紹介された。また、高速インターネット回線を制限なく使える学生の率は高くないと思われること(九州大による数年前の調査では、初年次では7割程度であること)ことが報告された。そのため、4月中は基本的には上記「実践ガイド」の「CASE 1」による対応が妥当だろうということになった。

3月31日に大学生協の教科書販売についての対応が公表された。Web通販で、4月9日から順次宅配ということになったはずである。生協の10%割引がきくとはいえ、正直にいえば、Amazonなどで買うほうが柔軟で便利だったと思う(生協の経営が傾くのは困るのだけれど)。でも新入生は、生協以外で買っても問題ないかどうかすら、きっと不安に感じただろう。

4月

前期の担当科目は次の二つだった。

これらに加えて、6月第1週に東大の集中講義をやった。これについては後ほど書く。

大学としての授業開始日は4月9日だったが(1年生を除く)、曜日の関係で自分が担当する科目は4月14日開始となり、様子見を長くできるのでラッキーだった。

教材の配布についてだが、著作権法の規定で、学校の授業で使うために教室で配布することはおおむね無許諾で可能である。これはよく知られていると思う。だがオンライン授業のための送信には強めの制限があった。これからの時代それでは困るということで、2018年の法改正で「授業目的公衆送信補償金制度」が導入され、2021年に施行される予定になっていた。これが前倒しで2020年4月28日から施行されることが4月6日に事実上決定された(政令が出たのは4月10日)。そういうわけで念のために教科書の必要な部分をスキャンしておいた。実際には、各々の授業の2週目ごろまでには教科書はだいたい行き渡ったようだったので、このスキャンを使うことはなかった。

またこの月の初め、携帯電話各社が、オンライン授業支援のために25歳以下の利用者に向けて無償のデータ利用量付与を行うというアナウンスをした。大手3社が毎月50GBで、MVNO各社が10〜30GB程度である。ありがたいことだった(でも「25歳以下」という線の引き方については「大学院生は考慮から外されたのだ」と思ったのも事実である。しかしそんなのは過剰な要求というもので、まあ、その人自身か大学か政府がなんとかしろ、でいいのだと思う)。

4月中の対応は「実践ガイド」の「CASE 1」、すなわち阪大CLE(阪大の授業支援システム)を通じた文書資料配付とレポート等提出と決まっているが、仮に大学の授業が月30GB使ってよいのならば、一人の学生が週15コマ受講しているとして、1コマあたり約500MB使えることになる。これなら、「ラジオ講座風授業」はもちろん、動画のオンデマンド配信も十分できるだろう。リアルタイム動画授業には心もとないが。

実際にはもちろん、すべての学生が「月30GB」を確保していたということにはならない。授業開始時にとったアンケートでは、それを確保していない学生がどちらのクラスでも15%くらいいた。したがって結局のところ、大学などによる追加対応がないかぎり、動画を使う決断をするのは難しそうだった。

このときとったアンケートに関してついでに書くと、学生ほぼ全員がパソコンとスマートフォンの両方をもっていたのは実際問題としてありがたかった(後で知ったのだが、今年度の入学者からパソコンは必須になったそうだ)。スマートフォンがあることも事実上前提としていい(「もっていない人には個別対処」で対応可能な状況である)のは大きい。演習問題の解答を「手書きして写真を撮って送信」ができる。考えてみてほしいのだけれど、数式が多く含まれる文書をWordでつくるのは簡単ではない。すべての学生にWordで頑張れとは言えないし、もちろんTeXで書けとも言えないから、「写真で送信」が不可能だったら状況はもっと厳しかった。ごくシンプルな、論証といえる論証など含まれないような問題を課すことしかできなかっただろう。

ともあれ、まず4月14日に「幾何学基礎1演義」が始まった。対応する講義「幾何学基礎1」を担当する糟谷久矢さんと何度もZoomで話し、「講義」と「演義」は明確に分離せず基本的に一体のものとして実施することに決めて、協力してページを阪大CLEにつくった。3人のTA(ティーチングアシスタント)には、教科書を郵便で送り、また毎週Zoomで打ち合わせをする体制を整えた。

「数学書を読みながら自分で勉強する」という行為を練習させようという話になった。それで原則的な進め方は、教科書を読んで自分でノートをつくらせ、理解を確認するための選択式の問題に毎週解答させて、さらにその過程で生じた質問や「考察を深めるための追加課題」について掲示板に投稿させるというスタイルになった。選択式の問題をつくる部分が糟谷さんで、「追加課題」の作成を自分が担当した。掲示板投稿への対応をおもにTAに担当してもらうことにした(たまに自分も糟谷さんも登場した)。毎週の打ち合わせの会では、諸々の相談のほか、糟谷さんがつくった問題を他の4人が試し解きするのが恒例の作業となった。

数学の勉強のためにノートをつくるという行為の指導は難しい。この記事の読者にも、実感としてわかる人は少ないと思う。大学院まで進んで2数学の勉強・研究をするような人は、自分で数学に浸かる作業に圧倒的な時間を費やすことになり、その中で自分なりのノートのつくりかたを身につけている人が多いと思う。つくりかたはそれぞれだが、数学書に書かれていることを単純に写すという、俗に「写経」といわれる方式を適当にアレンジするのがひとつのパターンである。

今回の授業で提示したのもそれであった。4月14日はイントロダクション的な課題で済ませたのだが、4月21日は指定した範囲を完全に「写経」することを求めた。4月28日以降は自分なりのアレンジを認めた。なお、このノートは、提出を要求したわけではなく、したがってもちろん添削などしたわけでもない。放任なのだが、各自取り組み、わからない箇所は質問してくれることを信じることにしたわけだ。でもたぶん、実際には保たなかった学生も2割か8割かわからないがいただろう。もっと管理すべきだったのかどうかはわからない。管理するとお互いに苦しくなっただろうけれど。

4月22日に「基礎解析学・同演義I」が始まった。こちらは、第1回(4月22日)と第2回(29日)については自前のテキストをつくって配布し、課題に解答してもらった。テキストはここで見られる。第1回の課題は「幾何学基礎1」と同様に自動採点されるもののみとしたが、第2回以降の追加要素として、さらにいくつかの問題を解いてもらい、それらのうち学生が自分で選んだ1問について解答を掲示板に投稿させた。これに対して、TA(1人)と自分ですべてにコメントを付けることにした。できている場合は「よくできています」で終わりで、できていないとコメントは長いものになる。全レスは本当に大変だけれど、そうでもしないと新入生が塞ぎ込んでしまうのではないかという気がした。

課す問題の数は多くないので、同じ問題に対する投稿がたくさん並ぶことになるし、投稿までの猶予は丸5日間与えたので他の人の投稿を写す人も当然いると思われたが、それはそれでそこそこ勉強にはなるわけだし、あまり厳しく考えないことにした(あからさまな丸写しは注意した)。他の人の投稿を見られることは、理解を深めるためにプラスになるという意味もあると思った。今から考えると、このあたりの考え方を丁寧に説明する機会はなかった。4月29日の時点ではテキスト配布というつながりしか学生との間ではなかったわけで、仕方がなかったようにも思うけれど、この瞬間に今から戻ることができるならば、きっと話すだろう。「話すだろう」というか、話せないので、書いておくだろう。

5月

「幾何学基礎1演義」のほうは4月と同じスタイルを継続した。「基礎解析学・同演義I」については、4月のようなテキスト配布ではなく、「ラジオ講座風授業」をやってみることにした。田崎さんのサンプルと同じである。

一発録りできればよかったが、それが思った以上に難しいのだった。動画授業の録画も難しいとは思うのだが、ラジオ講座は喋りに同期したビジュアルがない(静止した資料を見ながら聴いてもらう)分、指示語は使えないし、迷いや言い淀みも動画の場合より許容されづらい気がした。それで、一度リハーサルをしてから本番の録音をしたあと、どうしても削ったり付け足したりしたい部分を編集した。当時の記録によると、最終的なコンテンツ1時間に対して、リハーサルに1.5時間、本番録りと編集作業に合計で6.5時間である。これに加えて資料作成に2時間(この科目を担当するのは初めてなので使い回せるノートがない)、課題作成や阪大CLEへの登録作業などに1〜2時間、課題へのコメント作業に3〜4時間で、合計15時間程度を毎週費やしていた。これは続けられたものではない。難しくても醜態をさらしてでも、何がなんでも一発録りをすべきだった、と思う。

それでも、第3回(5月12日)、第4回(19日)、第5日(26日)はこのスタイルをなんとか続けた。そうしているうちに、学生に対する大学からのモバイルルーターの貸与が進み、また6月からは学生がキャンパスに入構して学内無線LANを使うことも認められることになった。さらにZoomの有料ライセンスを全学教育推進機構が購入してくれることになった。それで、6月からの「基礎解析学・同演義I」はリアルタイム動画授業に切り替えることに決めた。

Zoom有料ライセンスの手配にここまで時間がかかったのは、阪大ではBlackboard Collaborate Ultraという同様のサービスが「推奨」されているからだ。でも機能面で明らかにZoomのほうが上なのである。Zoom推しの声が高まった結果、なんとかしてくださったのだろう。ライセンスを個人的に買うことも考えていたが、それはなんというか違うという思いもあった。

6月

前に触れたとおり、6月第1週は東大の集中講義をやった(実際には大阪にいながらやっているので、東大「で」と書きづらいのが面白い)。タイトルは「漸近的双曲空間における幾何解析」である。この週は「基礎解析学・同演義I」は休講とした。「幾何学基礎1演義」のほうは休みにはしなかった。

結果的にこの集中講義が初めてやるリアルタイム動画授業になった。東大側でZoomミーティングルームをホストしてもらい、入室後に共同ホスト権限を付与してもらう。この時期までに身につけた、iPadのSplit View機能を使い、同一のノートアプリで同一のファイルを開き、それを黒板代わりとして、常に2ページ分を表示しながら(つまり、今書いているページと直前のページを表示しながら)話すという方法で進行した。ノートはここにある。この手法をどこで学んだのか明確に覚えていない。自然発生的に複数の方面から現れてきた気がするが、大元は同じだったりするかもしれない。この方法は少なくともGoodNotesとNoteshelfで使える。自分の好みはペンのスタイルが豊富なNoteshelfのほうだ(しかし、ペンの書き味だけでいえば、iOS標準のメモアプリの鉛筆ツールが最高だと思う。あれを他のアプリでも使えるようにしてくれないものだろうか)。

これが終わって、6月10日からの「基礎解析学・同演義I」も同様にZoomによるリアルタイム動画授業とした。阪大CLE(実体はBlackboardという製品)にはZoomとの連携機能があり、パスワード等を阪大CLEの外に出さずに済むようになっていたので、一般参加者を入室許可待ち状態にする「待機室」の設置は不要だろうと考え、この機能は切った。学生のためにも自分のためにもできるだけ単純な状態にしようと思った。本来は90分×2の授業だが、ディスプレイを見続けるのも辛いだろうし、60分×2とした。その後の時間を学生は問題演習にあてるのだから、とくにそれで悪いということはないだろう。

さまざまな事情で出席できない学生もいると思われたので、録画をして、それを後から阪大CLEに掲載するようにした。実際、前日(?)にパソコンが壊れたので修理に出すから出席できないとか、参加していたらタブレット端末が熱暴走してシャットダウンしてしまったというメールを学生からもらうことがあった(たぶん「出席扱いになるか心配で」というのがメールを入れた主な理由なんだと思うのだけど、そもそも出席チェックしてないから大丈夫だよ。それはそれとしてお便りをもらうのは嬉しいです)。

そうだ、もう一つ思い出した。「課題を出すのはいいけれど、授業時間内で終わるくらいの量にしてほしい」という要望をもらったことがあった。端的にいえば大学の授業は「そういうものではない」。今年度はさまざまな授業で課題が出されがちで、その学生もきっと大量の課題で溺れそうになっていたんだろうと思う。しかしその一方で、そもそも大学の授業は高校までよりずっと、習ったことに慣れる作業を学生が自分でやることを想定して行われている。今年の特殊状況に関するケアは必要で、しかし学生に提示する水準について安易な妥協はすべきでないとも思う。「教室の空気」がないぶん伝わりづらいその厳しさを意識的に伝えていたかというと、そうでもなかった。この反省は以後活かすとして、さて、その上でどこまで「優しく」なるべきなのかは悩ましい……。

ともかく、リアルタイム授業にすることで自分の準備ははるかに楽になった。通常時の授業に近いということもあるし、リアルタイムである以上、間違えようが間違えまいが、やってしまえば終わりだということもある(これは軽口を叩いているだけで、ちゃんと準備してるのでほとんど間違えないし、間違えたら訂正します)。ノート作成に2時間、課題作成その他に1〜2時間、課題へのコメント付けに3〜4時間はそのままだけれど、それ以外は実際に授業をやる2時間くらいで、費やす時間は週あたり9時間程度に減少した。

「幾何学基礎1演義」については、自分のやることはそのままだったが、糟谷さんのほうは、やはり学生側のインターネット環境が改善したので、教科書の説明を補足する短めの動画教材をつくって掲載するようになった。

7月

「基礎解析学・同演義I」では、6月からのリアルタイム動画授業をそのまま最終回(7月29日)まで継続した。リアルタイム動画授業の前提にはあくまでも学生側のネットワーク環境確保があるので、再びキャンパス閉鎖となれば、モバイルルーター貸与で十分にケアできているのか調べる必要が出てくると心配していたけれど、実際にはその必要はなくて助かった。

「幾何学基礎1」は、講義も演義も最後の3回(7月14日・21日・28日)をリアルタイム動画授業に切り替えた。この段階で演義をリアルタイムに切り替えて何をすべきなのかは迷った。(日本の)数学科の演習科目にはひとつの伝統的スタイルがあって、それは課された問題の解答を、解けた人が黒板を使って説明するというものである。だがこれは、そもそも近年の大人数のクラスでは破綻気味で、オンラインでしかも学期途中とあってはなおのこと実現は困難である。結局、3回にわたって、それまでに出題された「理解を確認するための問題」に関する解説を一方的にすることにした。アメリカの問題演習のクラスでは通常、宿題として課された問題についてポスドクや大学院生が解説をするらしいのだけれど、そのやり方を借りたわけである。

8月

8月第1週が試験の週だった。教室における試験はできない。さてどうするか、というのが突き詰めるとオンライン授業の最大の悩みだと思われる。授業はいろいろな手があるが、試験に関しては、誰かに手伝ってもらうことを止める現実的な手段がない3

「基礎解析学・同演義I」では「期末レポート」にして、手伝ってもらうことも許容することにした。「剽窃は許されない」ということはよくよく注意した。それで基本的に真正面から取り組んでくれるだろう、というのは阪大の学生の素直さ、正直さに対する基本的な信頼から来る。その感覚がなければ、レポートで良しとは思えなかったかもしれない。提出は阪大CLEで受け付けつつ、システムダウンに備えて郵送での提出も可とした。実際にはシステムは無事にもちこたえ、郵送で提出した人はいなかった。

「幾何学基礎1」に関しては、自分は主体的に試験相当のものを実施する立場にないが、糟谷さんは同じような「期末レポート」を課すことに決めた。

日々の課題をかなり重視する形で成績をつけるのは初めてのことだった(いつもなら、日々の課題提出というのはなくて、そのかわり中間試験をやる)。ともかくこれで前期は終わった。

9月

少しずつ対面での活動を増やしてもよいだろうということになってきた。「授業戦記」に書くのはちょっと違うのだけれど、次のことを書いておきたい。多くの大学では、ときおり外部から人を招いてセミナーを開催するが(たまに内部の人間も話すが)、阪大数学教室でもさまざまな種類のセミナーが行われている。自分に大きな関わりがあるのは「幾何学セミナー」で、ここで現地参加とオンライン参加のハイブリッドができないかという話がこのころ持ち上がった。

オンライン参加者はZoomを通じて参加する。映像はプレゼンテーションスライドを使えば4画面共有すればいいから、音声をどのように伝達するかが問題だと思われた。講演者の声をマイクで拾ってZoomにのせることはできるが、質問のやりとりが難しい。オンライン参加者の質問は大音量で再生すればいいかもしれない。だが現地参加者の質問をZoomにのせるには講演者が復唱するしかなかった。それは講演者の負担が大きいうえ、本来なら「講演者は質問に答えられないが他の参加者が答えたりリフレーズできたりする」ということがあるわけだが、そういうセミナーの良さが再現できないことになる。

いわゆるオンライン会議システムの機器が必要なんだと思い、少し調べてみたところこの記事が見つかった。

この記事のあまりの説得力に感化されて、ヤマハのYVC-1000を試す提案をしたのが9月11日だった。これは「本体」にあたるスピーカーと「子機」のマイクが組となったシステムで、マイクは必要なら5台まで増やすことができ、マイクは集音能力が高く、かつ会話をスムーズに成り立たせるための処理がシステムによって適切に行われる。詳しくは上の記事を読んでほしい。

購入するのならば後藤竜司先生5の研究費でということになって、まずは大学出入りの業者に試用を依頼したが、品薄でまったく手元に届かなかった。Amazonを見ても品切れである。ちょうど1か月経った頃だったと思うが(したがってここからは10月の話)、後藤先生がAmazonで在庫が出ているのを見つけ、「もうこちらを買ってしまおう」と言った。そのことを担当事務の方が業者に伝えると、それならばと業者からはさらに安い価格が提示され、かつすぐに納入された。……わかるけどさ。

実験してみると、幸い素晴らしくよかった。ほとんど何も文句を付けようがないという感じで、後藤先生はさっそく追加のマイクを3個(だったか?)購入してしまった。マイクを講演者側に2個(左側と右側)置いて、聴衆側に適当に距離を空けつつ2個置くことで、現地参加者20人程度のセミナーであればほとんどいつもどおりにできることがわかった。講演者は別にマイクの位置を意識する必要はなく、うろうろしながら話して問題ない。一点だけ注意として、黒板に書きながら話すとき、チョークが黒板にあたる音をシステムが優先してしまい声が聴き取りづらくなる現象があったので、書きながら話すことは避けたほうがいいという知見がある。

「あれ、黒板は使わないことにしたのでは?」という指摘があるかと思います。鋭いですね。実はヤマハのシステムとは別に、後藤先生はよい会議用カメラを導入して黒板映像の配信を試みた。自分はそういうことは無意識のうちに無理だと思って考えもしていなかったのだが、なんとこれが可能なのだった。この件については重要なポイントがひとつある。Zoomにおける設定で、通常のカメラとして使うのではなく、「画面の共有」の「詳細」から「第2カメラのコンテンツ」を選択することにより、共有画面としてそのカメラの映像を使うことができる(「第2カメラの」とあるが、カメラを2台接続する必要はない)。これにより通常の使い方をしたときよりもよい画質を保ったまま配信することができる。すると、それなりのサイズの黒板が、十分に文字を読める程度に精細に映るのだった。

この音声と黒板映像の配信システムは、幾何学セミナーよりも先に、11月第1週に阪大を「会場」として開かれた「複素幾何シンポジウム」で投入され、このときは現地参加の聴衆は多くて4人だったけれど、ともあれ完全な成功を収めた。それから幾何学セミナーでも活用され、環境面で完璧と言えそうなセミナーが12月初めまで行われた(そして感染拡大により一時停止期に入った)。

その後、ヤマハYVC-1000は、さらに2台、数学専攻の別の教員によって発注された6。その結果、理学研究科の契約係から用途が正当なものであるか照会が来たそうである。契約係はきちんと仕事をしているわけだが、まあ、このすごさは見ればわかりますよ。ヤマハは大学に営業かけたらいいと思います。なんなら、全世界の大学でこういう需要は大量発生するはずで、狙って展開していくとひょっとするとすごい売れ方をするのでは……。そのポテンシャルは確実にある。

10月

いったん12月初めまで話が進んでしまったが、10月に戻る。正確には9月後半に戻す。

10月から始まる後期の担当科目は次の一つだった。

前期の「幾何学基礎1演義」の続きで、学生はだいたい同じ、講義担当者は山ノ井克俊先生に代わる。

大きな変化は、対面授業を行うことになったことだった。9月16日に全学の基準としての「対面授業実施可能」が通知され、理学研究科は「原則として対面授業を行う」という方針を示した。

したがって対面授業をするのだが、どのような形で演習を行うかは簡単な問題ではなかった。再び対面授業ができない状況が訪れることを想定しておく必要がある。また「基礎疾患などのため大学に来て授業に参加できない者にも、要請があれば配慮すること」といった但し書きがあるから、配慮する方法が存在していなければならない(但し書きがなくても配慮すべきなのだが、但し書きがある以上もはや良識の問題だけでは済まず、やらなかったら職務怠慢ということになってしまう)。別途レポートでも課せばいいのかもしれないが、例外をむやみに発生させたくなかった(大変なので)。それに「今日はなんだか体調が悪い」と感じた人が無理して大学に来ることをエンカレッジするのは避けたい。そこで次のようにしてみた。

阪大CLEの機能では残念ながらこれをスムーズに行うことはできない。とくに添削機能が貧弱で、あまり使い物にならない。しかしながら阪大はロイロノート・スクールというサービスを契約しており、これを使うことで上記が無理なく実現できることがわかった。ロイロノート・スクールは3月30日に配布された「オンライン授業実践ガイド」で「Case 10」において紹介されており、全学教育推進機構の「無理にとはいわないけれど推す」という気持ちがにじみ出ていた。期待しつつ、期待外れでもがっかりしないようにと思いつつ9月25日の研修に参加してみた結果、これでやりたいことが全部できるとわかったのである。

オンライン配信は次のようにして行うことにした。

音声については例のYVC-1000を調達して使うことも考えられるが7、9月末の時点では試用できていなかったことと、設置作業に時間がかかるので、毎回それを行うのは現実的でないのでやめた。また、初めはBluetoothマイクを使ったのだが、広い教室を歩き回っていると距離が長くなりすぎて接続が切れてしまったので、上記のUHF帯で接続するマイクに変更した。

答案提出にあたっては、ほぼ全員がロイロノート・スクールのスマートフォンアプリを使って手書きの答案を写真に撮って行っている。ひとりだけタブレット端末を持ち込んで、ペンで書き、それを提出している学生がいる。TAとは毎週30分の打ち合わせを対面でやり、その後はタブレットとペンをその都度貸与し、添削作業を行ってもらっている。

これで、対面授業を再び中止すべき時期が来ても、学生側にZoomを安定して使えるインターネット環境があり、TAに対してはタブレットを一時的に長期間貸し出しすれば、まったく同じことが完全にオンライン授業として行える。これで安定が訪れた。

11月〜12月

「幾何学基礎2演義」の授業方式がきちんとできあがったので、11月〜12月についてはとくに言うべきことがない。作業時間は、問題作成や授業で話すことを考える作業に1.5時間、授業そのものに1.5時間、添削に2〜3時間(自分もまっさらな状態からの添削を4分の1だけ担当している)、TAとの打ち合わせや細かな作業に1時間、TAの添削を見直して全体の評価を揃える作業に3〜4時間で、週あたり10時間程度といったところで回っている。

授業時間内で終わるような演習のスタイルにすれば添削の時間は必要なく、実際3年生以上であれば自分もそうするのだが、2年生の必修科目についてはなかなか難しいというのが現時点での感想である。

  1. 自分が学生の頃は「大学の授業に出席する」という表現には強い違和感があり、「講義に出席する」と言いたかった。でも今の理解では、「授業」と「講義」という言葉は単に役割が違うだけだ。つまり、「授業」は、「講義」、「演習」、「実習」などを包括した概念だということである。
  2. 学部の課程(標準4年間)を終えた後、修士課程(標準2年間)、博士課程(標準3年間)がある。現在では多くの大学院で、正式には「修士課程」「博士課程」ではなく「博士前期課程」「博士後期課程」という表現をするが、教員が慣れている表現は「修士課程」「博士課程」のほう。そのうち古いと言われそう。博士課程の「標準3年間」というのはあくまでも標準でしかなく、人による差異が大きい。
  3. コストをかける(人員を費やす)ことができるなら、Zoomなどで学生側のカメラをオンにすることを求め、解いている姿をずっと見ていればいいかもしれない。あるいは口頭試問にするという手もあるだろう。実際、仮に合格・不合格だけを決めればいいのなら、口頭試問はけっこう現実的な手になってくるかもしれない。
  4. 「プレゼンテーションスライドを使えば」には注釈が必要だと思う。数学の講演は、スライドを使わずに黒板で行われることも多い。とくにある程度長い時間が与えられているときは、個人的な経験の範囲では、聴衆は基本的に黒板を好む。スライドはペースが速くなりがちだし、黒板に書く順番なども意味のある情報だからだ。(ついでに言うと、ホワイトボードと黒板では、後者を好む講演者が比較的多いと思う。これは基本的に慣れの問題だけれど、個人的にもホワイトボードは可能なかぎり避けたい。チョークと黒板の摩擦を上手く利用しながら文字や図を描くことにどっぷり浸かりすぎていて、ホワイトボードでは翼をもがれたような気分になる。)
  5. 同僚教員に対して「先生」を使うか「さん」を使うかは難しい(ちなみに「教授」はまず使わない)。数学では複数の教員からなる「研究室」は通常存在せず、職位が違ってもいわゆる上司・部下の関係があるわけではないから、理屈としては全員「さん」でもよさそうである。自分も一時それでいこうかとも考えた。ただ、どうも、それを貫くと無用な反感を呼びそうな雰囲気も皆無とはいえない。結局、「先生」と「さん」を適当に、あまり一貫性のようなものはもたせずに(「そこに強い意味がある」という雰囲気にはせずに)、ミックスして使っていくことにした。
  6. 共有して使えたらよさそうなものだとも思うが、研究活動は基本的に同僚教員が連携して行うという性質のものではないから、各々が持っていたほうが使いたいときに確実に使えてよいのも事実である。あとは値段との相談になるけれど、10万円台の製品だから、まあ買ってしまうのが正解なのだろう。
  7. あるいは研究費(より具体的には科研費)で買ったものを借りてもいいのだろうが、「教育で使うことが主な目的なのに、研究費で機器を購入した」と解されかねない状態は危険である。