「appreciate」

——文章の細部に手を入れました。

ハーディの『ある数学者の弁明』に目をつけて、2013年から2016年にかけてその翻訳作業をやってみた(大部分の作業が行われたのは2016年だった)のだけれど改訂を予定しています。たぶん年明け頃になるでしょう。本文の誤訳修正・表現の微調整に加え、訳注を脚注の形から巻末にまとめる形に変更して、増補します。(2019年5月27日追記:5月21日にようやく改訂版を公開しました!)、その一つの効果として、「appreciate」という言葉の意味がわかった気がしたことがある。

中学校で初めて学んだappreciateの用法は、感謝を表現するときに「I appreciate it.」の形で使うというものだったと思う今は小学校でやるんでしょうね。学校教育課程というのは変わるものだ。。感謝の表現には他にも「Thank you.」があるが、目的語が違う。「そのような行いをしたあなた」に焦点をあて、直接的に感謝を述べるのが「Thank you.」で、「あなたのしたその行い」に焦点をあて、その素晴らしさを讃えるのが「I appreciate it.」である。——どこまで言語化していたか自信がないけれど、無意識的にであれ、だいたいそのように理解していたと思う。

appreciateについての見識はそのくらいしかもっていなかったから、ハーディの作品中で、次のような箇所には考え込まされた。

every chess-player can recognize and appreciate a ‘beautiful’ game or problem.

But there are also many theorems about integers which we cannot appreciate properly, and still less prove, without digging deeper and considering what happens below.

文脈を少しだけ説明しておく。一つ目は「チェス・プロブレム(詰将棋のチェスバージョン)だって対局だってほとんど数学の演習問題のようなものなのに、チェスをたしなむ人はその『美しさ』を判断できる。つまり、数学への感性というものは、多くの人がもっているのだ」という話。二つ目は「数学における『深さ』」の話で、非常に難しいのでこれ以上触れない。

さて、appreciateを「賞賛」だと思うと意味は通じない。上掲のどちらの箇所でも「can (cannot)」が付随しているが、「can appreciate」とはどういうことか? 「賞賛『できる』/『できない』」というのはおかしいでしょう。したければすればいいのだから。まあ、「『適切に』『中身のある形で』賞賛できるか」だと考えれば、わからなくもないが、納得した気分にはなれない。

一箇所目ではrecognizeとappreciateが、二箇所目ではappreciateとproveが並置されていることは、手がかりになるかもしれない。「recognize」は認識すること、「prove」は証明すること。どちらも明瞭で、それをしたか否かに中間的な状態は(そんなに)ない。それらをある意味で補完するはずの「appreciate」は、「中間的な状態のなさ」からは多少ずれた何かを指し示すのだろうか。

よく思いをめぐらせて、「味わう」みたいなことかな。

さて、辞書というものがある(さっさと引けばいいのである)。『リーダーズ英和辞典』第3版によると

appreciate (vt) 1. 高く評価する、賞賛する;〈人の好意などを〉ありがたく思う、感謝する 2. (a) ……の真価[性質、差異]を認める;正しく認識[識別]する;〈重大さなどを〉敏感に察知する (b) 〈文学・音楽などを〉鑑賞する、おもしろく味わう 3. ……の相場[価格]を上げる

だそうです引用にあたり、例文を省略し、また表記をわずかに変えています。。そんなに外してはいない。Oxford English Dictionaryも引いたところ、2の意味での初出のほうが1よりも早い(2の意味で1648年または1770年、1の意味で1823年。なお原義は「To estimate or fix the monetary value of, set a price on」で1512年初出)。

もっとも、appreciateには中間的な状態がない、という理解が適切かどうかはわからない。ハーディの言葉遣いからは僕はそういうニュアンスを受け取ったけれど、勝手な理解かもしれない。そもそも、語感というものは人による。

でもともかく、appreciateは「味わう」ことを含むのである。「Thank you.」に引き続く「I appreciate it.」は「私はそれを味わっています/味わいます」なのだ人々はそんなことを日常的に考えてはいないだろうけれど。

そこには、意志というか、コミットメント、ないし個人的価値観の表明のようなものが感じ取れる。