ハーディ『ある数学者の弁明』私家版翻訳

松本佳彦

イギリスの数学者G. H. ハーディ(1877–1947)がその晩年に書いた『ある数学者の弁明』(原題:A Mathematician's Apology)という本があります原著はInternet Archiveで読めます。すでに出版されている日本語訳もありますが、日本における著作権保護期間は終わっているので、別の翻訳をつくってみました。

本翻訳の初版は2016年11月13日に公開しました。このページは、第2版の完成に向けた最終調整中のベータ版です(初版をご覧になりたい方はこちら)。第2版では訳文を全面的に見直したほか、訳注を大幅に増補しました。2018年12月末を目処に完成とする予定です。PDF版もあります

本文中の注は2種類の記号で示されています。アスタリスク(*)は原注で、ダガー(†)は訳注です。また訳注に関しては、全部まとめて本文の後にも載せてあります。その冒頭には簡単な解説も添えました。まずはいきなり本文を読み始めるのがいいと思いますが、初めに解説をざっと眺めていただくこともできます。好きな形で楽しんでください。

『ある数学者の弁明』の表紙にも使われたハーディの写真。1927年頃とされる(Wikimedia Commonsより)

目次

本書の執筆を私に勧めた
ジョン・ロマス氏に

緒言

C. D. ブロード教授とC. P. スノー博士が、草稿を読み、多くの有益な批評を加えてくださったことに感謝する。彼らの提案はほとんどすべて本文に取り入れ、そうして、たくさんの未熟な点や曖昧な点を取り除くことができた。

一か所だけ、異なる取り扱いをした箇所がある。28節は今年の初めに『ユーレカ』(ケンブリッジ・アルキメデス協会の会誌)に寄稿した短い記事に基づいているのだが、これはあまりに最近のもので、しかも細心の注意を払って書いた文章でもあるため、再構築するのは不可能であるように思われた。また、彼らの重要な批評に真剣に応えようとすれば、この節を大幅に長くしなければならないが、それはエッセイ全体のバランスを壊すことになるだろう。そこで私はこの節に手を加えず、その代わりに、私の批評家たちの主な指摘について、末尾の覚え書きで簡潔に述べることにした。

G. H. H.

1940年7月18日

1

専門の数学者にとって、自分が数学について書いているというのは憂鬱なものだ。数学者の役割とは、何かを成すこと、新しい定理を証明すること、数学という学問に何かを付け加えることであって、自分や他の数学者の成した仕事を語ることではない。政治家は政治評論家を嫌い、画家は美術評論家を嫌う。生理学者、物理学者、そして数学者も普通同じような感情を持つ。創造する者が説明する者に対して抱く軽侮の念ほど、根源的で、一般にもっともなものはない。解説、注解、評価といったことは、二流の知性の仕事である。

ハウスマンと真剣に言葉を交わす機会は多くはなかったが、あるとき、このことを彼との会話の俎上に載せたことがあった。レズリー・スティーヴン記念講演『詩の名称と本質』の中で、ハウスマンは、自分が「注解家」であることを断固として否定した。しかしその否定の仕方は私にはひねくれたものに思われた。彼は、注解に称賛の意を示したのである。私は愕然とした。

彼は、自身の22年前の就任講演を引用してこのように始めた。

注解の能力が天の与え給う最高の才能であるかどうか、私にはわからない。しかし天はそのようにお考えなのだろう。なぜならこの能力こそが、最も慎重な仕方で授けられてきたものだと思われるからである。雄弁家や詩人……は、ブラックベリーほどにありふれているわけではないとしても、ハレー彗星の回帰よりは頻繁に現れる。注解家の出現はもっと稀である。……

そしてこう続けた。

この22年間、私はある面では向上し別の面では退歩した。だが注解家になったと言えるほどには向上してはいないし、注解家になったと思い込むほどには退歩してもいない。

私にとって、偉大な学者、素晴らしい詩人がそんなことを書くのは嘆かわしいことだった。そこで数週間後、ホールで彼の隣になった際に、私は議論を吹っかけた。彼は、字句通りに受け取られることを意図してそのように述べたのか。最良の注解家の生涯が、学者や詩人のそれと比肩し得るものだと彼は考えていたのか。晩餐の間ずっと議論を続けた末、最後には、私は彼の同意を得たように思う。もはや反論することのできない者に対しことさらに弁証法的勝利を主張すべきではないだろうが、最終的には、第一の問いへの彼の答えは「完全にはそうとは言えないかもしれない」、第二の問いへのそれは「おそらく違うだろう」というものになった。

ハウスマンの思いについては不明な点もあろうから、彼が私と同意見だと主張するつもりはない。しかし科学者たちの思いは明確であり、また私もそれを完全に共有している。だから、私が数学そのものを書くのではなく数学「について」書くとき、それは私の弱さの告白であって、若く活発な数学者たちに軽蔑や憐れみの念を抱かれたとしても当然のことだ。私が数学について書くのは、60歳を過ぎた他の数学者と同様に、本来の仕事で実績を挙げ続けるだけの新鮮な頭脳も精力も、そして忍耐をも失ったためである。

2

私はこれから数学のための弁明を提示する。もっとも、そんな弁明は不要だという意見もあるだろう。つまり、数学ほど有益であり称賛に値すると広く認められている学問は、理由の如何はともかく、ほとんどないからということだ。それは実際にそうかもしれない。アインシュタインの収めた劇的な成功以来、世間では天文学と原子物理学が脚光を浴びるようになったかもしれないが、数学はそれに次ぐ地位にはある。数学者は目下、守勢に立つ必要はない。『現象と実在』の序文でブラッドリーは形而上学を見事に弁護したが、そこで描かれているような攻撃に数学者はさらされていない。

ブラッドリーによれば、形而上学者は「形而上学的な知の達成はまったく不可能だ」とか、あるいは「たとえ一定程度可能だとしても、知の名に値するものではない」と批判される。「いつも同じ問題、同じ議論、同じ完膚なき失敗。もう諦めて外の世界に出てきてはどうか。他に取り組むべき仕事はないのか」と言われる。数学については、こんな物言いをする馬鹿はいない。過去の歴史の中で得られてきた数学的真理の膨大さは明白で、それは堂々とそびえ立っている。橋梁、蒸気機関、発電機といった実際の応用例は、想像力の最も乏しい者の目にも否応なく入る。大衆は、数学に何らかの実質があることについて、そもそも疑いを持ってはいない。

そういったことは全体として、数学者にそれなりの大きな安心感を与えてはいる。だが、真の数学者がそれで満足するとは考えられない。真の数学者はこう感じるに違いない。すなわち、数学の本当の価値はそういった露わな成果にあるのではなく、世間の数学に対する評判の大部分は無知と混乱に基づくものにすぎないのであって、より理に適った数学の弁護が存在すると。ともかく私は、そのような弁明を試みたい。それは、ブラッドリーの困難な弁明よりは簡単な仕事のはずである。

それでは次のように問おう。数学を真剣に研究することには、なぜそれだけの価値があるのか。数学者の人生は、どのようにして適切に正当化されるか。そして私の答えは、大筋では、どの数学者からも予想されるようなものである——私は数学の研究には価値があるし、十分な正当化も可能だと考えている。しかし同時に言わねばならないが、私の行う数学の弁護はすなわち私自身の弁護であり、したがって私の弁明はある程度利己的にならざるを得ない。もし私が自分をこの道の敗北者と思っていたなら、数学の弁護などに価値を見出すことはなかっただろう。

この種の利己性はある程度は不可避であり、実のところ正当化する必要もないと思う。よい仕事は「慎ましい」者からは生まれない。例えば大学教授について言えば、その最も重要な職務の一つは、どんな分野であれ、自分の専門分野の重要性と、その分野における自らの重要性を、少しばかり誇張することだ。「自分の仕事には価値があるのか」とか「他に適切な者がいるのではないか」と問うてばかりいる者は、例外なく無能な存在で、他者の活力をも奪う。目を軽く閉じ、自分のテーマと自分自身を少し余分に高く買ってやらなくてはならない——これはそう難しいことではない。強く目を閉じすぎてテーマと自分自身を愚かしいものにしないことのほうは、もっと難しいのであるが。

3

自分の存在とその仕事を正当化しようとする者は、二つの異なる問いを明確に区別しなければならない。第一の問いは、自分の仕事には取り組むだけの価値があるのかということ。第二の問いは、価値はともかく、なぜ自分はそれに取り組むのかということである。第一の問いに答えることは往々にして非常に難しく、結論は落胆を伴うものになりがちだ。だが多くの人が、第二の問いに答えるのは容易だと感じるだろう。誠実な人の出す結論はたいてい、以下の二つの形のいずれかをとる。二番目は一番目を謙遜して述べ直したものにすぎないから、きちんと考察する必要があるのは一番目の形だけである。

(一)「私がこの仕事をするのは、つまるところ、これが自分のよくできる唯一のことだからだ。私が弁護士、株式仲買人、あるいはプロのクリケット選手をしているのは、その仕事に関しては、いくらか本物の才能を持っているからである。私が弁護士をやっているのは、自分は弁が立つし、法の機微を興味深いと感じるからだ。私が仲買人をやっているのは、市場の状況を素早く正確に判断できるからだ。私がクリケット選手をやっているのは、ボールを打つのが人一倍うまいからだ。詩人や数学者だったらもっといいかもしれないとは思うが、残念ながらそういった才能は自分にはない。」

私は、多くの人がこのような形で自分を弁護できると言いたいわけではない。なぜならほとんどの人には、特別よくできることなど何もないからである。とはいえ、この弁護が無理なくあてはまる人にとっては、これは堅固な弁護の仕方だ。そうした多少なりとも得意なことを持つ人は相当に限られている。その割合は5ないし10パーセントといったところだろう。何かを真によくできる人はごくわずかであり、真によくできることを二つ持つ人は、無視できる程度にしか存在しない。本物の才能を持つ者は、それを最大限に伸ばすため、ほとんどあらゆる犠牲を払う覚悟をすべきである。

ジョンソン博士もこの考えを支持している

3頭の馬を御すジョンソン[彼と同名の別人]を見物に行ったことがあると話したところ、彼はこう言った。「その男は、旦那、激励に値しますよ。なぜって彼の芸当は、人間の能力の限界を示すものですから……

彼はおそらく、登山家や、海峡横断泳の成功者や、目隠しチェスのプレイヤーのことも同じように称賛しただろう。私も、そういった偉業への取り組みには心から共感する。奇術師や腹話術師といった人々にさえもいくらかの共感を持っているし、例えばアレヒンやブラッドマンの新記録挑戦が失敗に終わったならば、私はずいぶん意気消沈することだろう。ジョンソン博士も私も、こういったことに関しては世間と同意見だ。W. J. ターナーがいみじくも言ったように、そういう「本物の名士」に敬意を払わないのは、(いやみな意味での)「知識人」だけである。

もちろん、個々の仕事の持つ価値の差異を考えに入れる必要はある。私は政治家であるより、同程度の小説家や画家でありたいと思うだろう。それに、名を馳せるに至る道のうちには、明らかに有害だとして多くの人が否定するようなものもたくさんある。だがそういった価値の差異が、人の職業選択に影響することはほとんどない。なぜならたいていの場合、生来の能力的限界によって職業は決まってしまうからだ。詩はクリケットよりも高い価値を持つが、ブラッドマンが二流の詩作(彼がいい詩を書くことは考えづらいと思う)のためにクリケットを捨てるのは愚かというものだろう。もう少しクリケットの能力が低く、詩の能力が高ければ、選択は難しくなるかもしれない。例えば私が今の自分ではなかったとして、ヴィクター・トランパーだったらよかったか、それともルパート・ブルックがよかったかは決めかねる。けれど幸いにも、そんなジレンマは滅多に起こらない。

さらに付け加えるなら、そういうジレンマが数学者の身に生じることは、とりわけ珍しい。数学者とそれ以外の人々の精神の働きの違いはひどい誇張をされがちだが、しかし数学の才能が最も特殊な才能の一つであることは否定できない。数学者と呼ばれる人々は、一般的能力や多才さの点では、特に優れているとはいえない。ある人がいかなる意味にせよ真の数学者であるなら、その人は九分九厘、他の何よりもずっと、数学に秀でているのである。他でたいした仕事もできないのに、自らのただ一つの才能を活かすまっとうな機会を放棄するのは馬鹿げたことだ。そのような犠牲を正当化するものが仮にあるとすれば、それは経済的な理由と年齢だけである。

4

この年齢の問題に関しては、ここで言及しておくべきだろう。なぜなら、これは数学者にとって非常に重要なことだからだ。すべての数学者は、数学がいかなる種類の芸術や科学よりも若者のための競技であることを、片時も忘れてはならない。卑近な例であるが、王立協会の会員に選出される者の平均年齢は、数学の場合が最も低い。

もっと説得力のある実例を挙げることも容易である。例えば、間違いなく世界の三大数学者の一人に数えられる存在であった、ある者の経歴を見るのがよいだろう。その者、ニュートンは、数学界を50歳で引退した。しかも彼の情熱は、さらにずっと前に失われていたのだった。彼は、40歳のときには間違いなく、既に自分の最も創造的な時期が過ぎ去ったことを認識していた。ニュートンの最も偉大な創意、すなわち流率と引力法則の概念が彼の頭に浮かんだのは、1666年頃、彼が24歳のときである——「その頃、私は創造の最高潮に達していた。数学と哲学のことを、その後のどの時期と比べてもよく考えていた」。彼は40歳の手前まで大発見をなし続けたが(「楕円軌道」は37歳のとき)、その後は新しい発見をすることはほとんどなく、過去の仕事を磨きあげるだけだった。

ガロワは21歳で、アーベルは27歳で、ラマヌジャンは33歳で、リーマンは40歳で死んだ。もっと高齢で偉大な仕事をした者もいたのは確かである。ガウスが微分幾何学を論じた偉大な著作が出版されたのは、彼が50歳のときだった(けれども、その根底をなす考えは、それより10年前に得られていた)。私は、数学上の大きな進歩に先鞭をつけた者が50歳を超えていた例を知らない。もう若くない者が数学への興味を失って、この世界から離れていったとしても、損失はさほどではないだろう。数学にとっても、その者自身にとっても。

一方で、そのことによる利益もたいして期待はできない。過去の数学者のその後を追ってみると、決して希望は持てないことがわかる。ニュートンは比較的有能な造幣局長官ではあった(ただし、誰かと論争中でないとき)。パンルヴェはフランスの首相として、あまり成功しなかった。ラプラスの政治的な経歴はきわめて不名誉なものだったが、これは妥当な例とはいえないだろう。彼の場合は、能力がないというより不誠実だったのだし、それに数学界から完全に「引退して」はいなかった。過去の一流の数学者で、数学をやめてから他の分野でも一流の存在になった例を見つけるのは、非常に難しいパスカルがもっともいい例のようだ。。若者たちの中には、仮に数学を続けていれば一流の数学者になったであろう者もいたかもしれないが、もっともらしい例を聞いたことはない。そしてここまでに述べたことは、私自身の限られた経験によっても、十分に裏付けることができる。私の知る、真の才能を持つ若い数学者は、みな数学に忠実だった。それは野心がないからではなく、野心に満ちあふれているがゆえであった。彼らはみな認識していたのだ。傑出した人物になる道があるとすれば、それは数学にこそあるのだということを。

5

もう一つのよくみられる弁明の仕方として、先ほど「謙遜して述べ直したもの」と呼んだものがあった。しかし、これには簡単に触れるにとどめよう。

(二)「特別によくできることなど私にはない。今の仕事に辿り着いたのは成り行きで、他のことをする機会は全然なかった。」この弁明も、議論の余地のない説明には違いない。いかにも、ほとんどの人々には、よくできることなどないのだ。だとすれば、彼らがどんな仕事を選ぶかは重要ではないし、それ以上言うべきことは、まったく何もない。これは決定的な返答ではあるが、誇りある者のする返答としては考えられないと思う。私たちの誰もが、これには満足できないものと仮定してよいだろう。

6

それではいよいよ、3節で取りあげた第一の問いについての考察を始める。これは第二の問いよりもずっと難しい。数学は——つまり、私や他の数学者たちが数学と考えているものは——取り組むだけの価値があるだろうか。あるとするならば、それはなぜか。

私は、1920年にオクスフォード大学で行った就任講演の冒頭を読み返してみた。その中身は、数学のための弁明の骨子である。それはまったく不十分なものだし(数ページにも満たない)、文体は(私が当時「オクスフォード式」だと思っていた文体で書いた、おそらく初めての原稿だった)、今では誇らしくも感じられない。それでも私は、議論の浅い部分は目につくにせよ、その弁明が問題の本質を捉えていると思う。本格的な議論への導入とするため、そのとき述べたことを要約する。

(一)私は講演を、数学の〈無害さ〉を強調することから始めた。「数学の研究は、たとえ無益だとしても、完全に無害な職業である。」私はこの主張を貫くが、いうまでもなく、詳細な議論を展開する必要があるだろう。

本当に数学は「無益」だろうか。いくつかの観点に基づき、それは明確な誤りだといえる。例えば、数学はそれなりに多くの人々に大きな喜びを与えている。しかし私は、もっと狭い意味での「益」を考えていたのだ。つまり、数学は「有用」か——他の科学、例えば化学や生理学などのように直接的に有用かということだ。これは簡単極まる問いとはいえないし、衆目の一致する結論は存在しない。私は最終的にノーと答えるが、数学者の一部やその他の人々の多くは、間違いなくイエスと言うだろう。そしてまた、数学は「無害」だろうか。やはり答えは明らかではない。それに、これは設定することを避けるべき問いだったともいえるだろう。なぜならこの問いは、戦争に対する科学の影響という大問題を提起するからである。果たして数学は無害だろうか。つまり、例えば化学は明らかにそうではない、という意味で。以上の二つの問いについては、後で再び論じる必要がある。

(二)続けて私はこう述べた。「宇宙の巨大さを思えば、仮に我々が時間を浪費しているとしても、大学で働くごく少数の研究者が人生を無駄にすることは、壊滅的な惨禍にはあたらない。」この箇所では、ついさっき私が否定した過剰な謙遜による弁明が採用されているようにみえるかもしれないし、あるいはそれを装っているようにみえるかもしれない。しかし確信を持って言うが、実際に私の念頭にあったのはそういうことではなかった。3節で言葉を尽くして説明した内容を、手短に述べようとしたのである。私は、われわれ大学人にはわずかばかりの才能が確かにあって、その才能を活かすべく全力を尽くすことが悪かろうはずはないと考えていたのだ。

(三)最後に、私は(今では堪えがたいほど修辞的に感じられる言い回しで)数学的成果の永続性を強調した。

我々の仕事は小さいかもしれぬが、なにがしかの永続性を備えている。どんなに小さなものであろうと、永続的な興味の対象を生んだのならば、それが一篇の詩であっても幾何学の定理であっても、大多数の人々の力が遥かに及ばぬことをなしたことになる。

そしてこう述べた。

伝統的学問と新しい学問が衝突するこの時代においては、ピタゴラス以前に始まり、アインシュタイン以後も続く、最も歴史あると同時に最も若い学問について、語られねばならぬことが確かに存在する。

これらはすべて「修辞的」である。しかし当時述べたことの本質は、私には今でも真実を衝いているように思われる。またこれを、まだ結論を提示していない他の問いに予断を与えることなく、すぐに敷衍することができる。

7

この本の読者諸氏は、適切な野心に満ちておられるか、または過去にそうであったと仮定しよう。人の最も大切な義務、少なくとも若者の義務は、野心を持つことである。野心は、気高い、そしてさまざまな正当な現れ方をもつ情熱である。アッティラやナポレオンの野心にさえ、何かしらの気高さがあったのだ。だが、最も気高い野心は、永続的な価値を持つ何かを後世に残そうというものである。

Here, on the level sand,
Between the sea and land,
What shall I build or write
Against the fall of night?

Tell me of runes to grave
That hold the bursting wave,
Or bastions to design
For longer date than mine.

(海と陸との間に広がる
この平らな砂の上に
何を造るのか、何を書くのか
迫り来る夜の闇に抗って

刻むべき言葉を教えてほしい
迸る荒波に耐えるような
砦の築き方を教えてほしい
私の生よりも長い年月のための)

野心は、世界中のほとんどの偉業の裏で、その原動力となってきた。特に、人の幸福に直接的に寄与する多くのことは、野心を持つ人間によってなされた。有名な二つの例を挙げるとすれば、リスターやパスツールには野心はなかったか。またはもっと卑近な例として、キング・ジレットやウィリアム・ウィレットはどうだったか。近年、彼らよりも人の快適な生活に貢献した人がいるだろうか。

とりわけ生理学からはよい例が得られる。それは生理学の研究が、明らかに「有益な」ものだからだ。われわれは、科学を弁護する者にありがちな誤った考えに囚われてはならない。つまり、最も人類に益をもたらす仕事をする者が、仕事の間その益のことだけを考えているとか、例えば生理学者が、特別に高貴な魂を持っているという考えである。生理学者にとって、その仕事が人類に役立つことを思うのは確かに悪い気はしないことだろうが、彼らに仕事の原動力やインスピレーションを与えている動機は、古典学者や数学者の場合と何も違いはない。

人が研究活動を遂行するにあたっては、尊重されるべき多様な動機があるが、とりわけ重要なものが三つある。第一のもの(それなしには残りの動機が意味を失うもの)は、知的な好奇心、真実を知ろうという欲求だ。次に、専門家としての誇り、自分の仕事に満足したいと切望する気持ち、誇り高い職人がその才能にふさわしくない仕事をしたときの打ちのめすような屈辱感である。最後に、野心、名声や地位に対する欲望、それがもたらす権力や金への欲望だ。確かに、一仕事終えたとき、それによって人々の幸福に寄与したとか、苦しみを和らげたと感じるのはよい気分かもしれないが、それは仕事をした理由にはなり得ない。もしある数学者が、化学者が、あるいは生理学者であっても、人類の役に立ちたいという望みこそが仕事の原動力だと私に言ったなら、私はその人を信用しない(または、信用するとしても、その言のために高い評価を与えたりはしない)。その人の主要な動機は私が上に述べたものなのであり、まともな人間は、それを恥じる必要はないのだ。

8

もし研究活動の主要な動機が、知的好奇心、専門家としての誇り、そして野心であるとするなら、間違いなく、数学者ほどその動機を満足させる機会を持つ人々はいない。数学者の研究対象は、どんなものより好奇心をそそる——真理がこんなにも気まぐれに戯れる分野は他にない。数学は最も精巧で最も魅惑的な技法によってつくられ、真の専門的能力を示すための最高の場を提供する。それに加えて、歴史が十分に証明しているように、数学の業績というものは、その本質的価値がどうであれ、最も長く残るのである。

このことは、歴史の曙の頃の文明についてさえみられることである。バビロニアやアッシリアの文明は消滅した。ハンムラビ、サルゴン、ネブカドネザルは、ただその名を残すのみである。けれどもバビロニアの数学は現在でも興味深いし、バビロニアの六十進法は天文学でいまだに使われている。しかし、決定的な実例は、もちろんギリシャの数学である。

ギリシャ人たちは、現代のわれわれの立場からも「本物」と言えるような初めての数学者だった。東洋の数学も魅力的な蒐集品かもしれないが、ギリシャ数学は本物である。ギリシャ人たちは、初めて現代の数学者が理解できるような言葉を語った——リトルウッドがかつて私に言ったように、彼らは優秀な生徒とか「奨学生候補」などではなく、「他のカレッジのフェロー」なのだ。それゆえギリシャ数学は、ギリシャ文学と比べてさえもなお「永遠」の存在だ。アイスキュロスが忘れられようともアルキメデスは記憶に留まり続けるだろう。言語は失われても数学上の観念は滅びないからだ。「不滅」とは愚かな言葉かもしれないが、それがいかなる意味であるにせよ、おそらく数学者はその言葉に最も近い存在である。

数学者はまた、後世の人々に不当な評価を受けることについて、深刻に恐れなくてよい。不滅の存在であることは、ときに馬鹿げていたり残酷だったりする。オグやアナニアやガリオになりたいという者はまずいないだろう。数学においてさえ、歴史が奇妙ないたずらをすることはある。初等微積分の教科書におけるロルの姿は、まるでニュートンに並ぶ数学者であるかのようである。ファレイが不滅の名を得たのは、ハロスが14年も前に完全な証明を与えた定理を理解できなかったからだ。ノルウェーの5人の名士はアーベルの伝記に名を残しているが、これは良心に基づく彼らの愚策ゆえであって、職務に忠実であることで、自国の最高の偉人アーベルを犠牲にしたためだ。しかし、概して言えば、科学の歴史は公平であるし、数学においては特にそうである。数学ほど学問的な基準が明確な、あるいは皆が基準を共有している分野はない。後世に記憶されている者は、そのほとんどすべてが記憶に値する者である。数学における名声は、対価として支払う金を持っているのならば、最も合理的で確実な投資の一つである。

9

今述べたことは大学教授にとって、中でも数学の教授にとっては特に、心安らぐことだ。弁護士や政治家や実業家がときどき仄めかすのであるが、学者という仕事は、主に意気地がなく野心のない人間が、安心や安定を第一に考えて選ぶものだという言説がある。しかしこの非難は、ずいぶん的外れである。たしかに大学教授は何物かを放棄している。特に、大金を手にする可能性を放棄している——実際のところ、教授が2,000ポンドの年収を得ることは非常に困難である。それを放棄するにあたって、大学教授の持つ終身在職権により得られる安定は、当然、一つの理由ではある。しかしハウスマンは、サイモン卿やビーヴァーブルック卿になれる可能性を安定のために拒絶したのではない。ハウスマンは野心を持つがゆえに、20年も経たずに忘却されることに耐えられなかったために、彼らのするような仕事を拒絶したのである。

しかしながら、先ほど述べたような数々の強みがあるにもかかわらず、なお敗北の可能性があるのは、なんとも辛いことだ。私はバートランド・ラッセルの語った恐ろしい夢のことを思い出す。時は西暦2100年頃、彼は大学図書館の最上階にいた。図書館職員が巨大な屑籠とともに書架を巡回する。職員は次から次へと本を手に取り、一瞥して、それを棚に戻すか籠に放り込むか決めるのだ。その職員はついに大判の三巻本にたどり着いた。ラッセルは、それらが『プリンキピア・マテマティカ』の最後に残った一部であるのを見て取った。職員はその一冊を開き、数ページをめくると、奇怪な記号の羅列にしばし混乱の表情を浮かべ、本を閉じ、それを手のひらに載せて、決めかねるような様子をみせるのだった……

10

数学者は画家や詩人と同じく、様式パターンを創る者だ。数学者の創る様式が画家や詩人の創るものよりも永続性を持つのだとすれば、それは数学者の様式が〈観念アイディア〉でできているからである。画家は様式を形や色彩によって創り、詩人は言葉によって創る。絵画は何らかの〈観念〉を表現する場合もあるが、それはありふれたものであることが多い。詩においては、観念はもっと重要な位置を占める。だが詩における観念の重要性は、ハウスマンが主張するとおり、しばしば誇張されている。「詩的観念なるものが存在するという意見に私は同調しかねる。……詩とは、そこで語られる何かではなく、いかにして語るかである。」

Not all the water in the rough rude sea
Can wash the balm from an anointed King.
(荒海の水を悉く傾け尽くしたとしても、
王の体に塗られた香油を拭い落すことなど出来はせぬ。)

これよりも見事な詩句があるだろうか。同時に、これよりも陳腐で虚偽に満ちた観念があるだろうか。観念の貧弱さは、言語的様式の美にはほとんど影響していないようである。その一方で、数学者には観念のほかに扱うべき対象はなく、それゆえ数学者の様式は多くの場合、より長い寿命を持つのだ。観念は言葉よりもゆっくりと色褪せてゆくからである。

数学者の様式は画家や詩人のそれと同じく、〈美しい〉ものでなければならない。観念は色彩や言葉と同じように、互いに調和しなければならない。美は第一のテストである——醜悪な数学に永遠の地位は与えられない。そして私はここで、未だ世間に膾炙する、ある誤解に触れなければならない(20年前よりは相当改善してはいるが)。ホワイトヘッドが「文学的迷信」と呼んだその誤解とは、「数学を愛することや美しさを味わうことは、いかなる世代においても、少数の奇人だけの偏執的趣味である」というものだ。

今や、教養を備えた人物の中から、数学の美的魅力に無反応な者を探し出すのは難しいだろう。数学的な美を定義することは非常に困難ではあろうが、それはいかなる種類の美についても同じことだ——私たちは美しい詩とは何かということを理解してはいないかもしれないが、だからといって美しい詩を読んで、その美しさを認識できないわけではない。ホグベン教授は数学のうちにある美的要素の重要性を矮小化しようと熱心だが、しかし彼でさえもそういう要素の存在を否定しようとはしない。「確かに、冷たく非人間的な魅力を数学に感じ取る人々は存在する。……選ばれた少数の人々にとって、数学の美的魅力はまぎれもなく実在するものかもしれない。」だが彼は、そんな人々は「少数」で、そして「冷たい」心の持ち主だと(しかも、広々とした土地に吹く爽やかな風から逃れるように、つまらない小さな大学町にこもっている実に愚かな人々なのだと)示唆する。そうして彼は、ホワイトヘッドの言うところの「文学的迷信」をただ繰り返す。

しかし、実際には、数学ほど「大衆向け」の学問はそうはないのだ。多くの人々は、心地よい音楽を楽しむのと同じように、数学にいくらかの楽しみを見出す。そしておそらく、音楽に対してよりも、数学に対して真剣な興味を抱く人のほうが多い。一見すると逆のような印象があるかもしれないが、その印象には簡単な理由がある。音楽と異なり、数学は集団感情を刺激することには使えない。また、音痴であることはいくぶん不名誉なこととみなされる(確かにそうだ)一方で、多くの人は数学の名に恐れをなしているため、たいして気取ることもなく、自身の数学的無知を喧伝するのである。

「文学的迷信」の愚かしさを示すには、ほんのわずかな考察で十分である。すべての文明国には、多くのチェス・プレイヤーがいる——ロシアでは教育を受けた国民のほとんどすべてがそうである。そしてチェス・プレイヤーはみな、〈美しい〉対局やチェス・プロブレムの美しさを認識し、味わうことができる。チェス・プロブレムは単なる純粋数学の練習問題にすぎないにもかかわらず(対局は完全にそうとはいえない。心理戦の側面もあるからだ)、皆がプロブレムの持つ数学的な美しさを讃える。その美しさは比較的低級なものであるにしてもだ。チェス・プロブレムは、数学の賛美歌である。

ブリッジについて同じ考察をすれば、さらに低級ではあるが、より多くの人々にあてはまる。もっとレベルを落とすならば、大衆新聞のパズル欄でもよい。それらの絶大な人気が何に向けられているのかといえば、それはほとんどが初歩的数学の魅力に対してなのであって、デュドニーあるいは「キャリバン」のような腕利きのパズル作家が利用しているのは、ほぼそれだけである。彼らは心得ている——大衆が欲しているのはちょっとした知的快感であり、その快感を数学ほどもたらすものはないということを。

こんなことを付け加えてもよいかもしれない。すでに名を遂げた者をも(そして過去に数学を蔑む言葉を吐いた者でさえをも)上機嫌にさせるのに、彼が本物の数学の定理を発見すること、または再発見すること以上のものはない。ハーバート・スペンサーは自伝の中で、彼が20歳のときに証明した、円に関する定理について再び書いている(それがプラトンによって二千年以上も前に証明されていたことも知らずに)。ソディ教授は、もっと最近の、もっと著しい例である(しかし彼の定理は実際に彼自身のものだ)『ネイチャー』137–9巻 (1936–7)の「Hexlet」に関する彼のレター論文数編を見よ。

11

チェス・プロブレムは本当の数学には違いないが、ある意味で「つまらない」数学である。どんなに精妙な問題であっても、どんなに独創的な手順からなっていても、何か本質的なものが欠けている。チェス・プロブレムは重要でないのだ。最高の数学は美しいと同時に〈真剣〉なものである。「重要インポータント」という語を使ってもよいが、この言葉は非常に曖昧なので、私の意図をはっきりさせるには「真剣シリアス」と言ったほうがよい。

私はここで数学の〈実際的〉な帰結を問題にはしていない。この点には後でまた触れる必要があるが、とりあえず次のようにだけ述べておこう。もしチェス・プロブレムを露骨な意味で〈無益〉と言うならば、それは最高の数学のほとんどについてもまったく同様である。実際的な意味で役立つ数学はごくわずかしかなく、しかもそれらは他の数学と比べてつまらない。数学の定理の〈真剣さ〉は、実際的な帰結にあるのではなく——それは通常無視してよい——それが結びつける数学的観念の〈意義〉にあるのである。大雑把に言えば、ある数学的観念が〈意義深い〉というのは、目を見張るほど自然な方法によって、他の数学的観念のなす大きな複合体に結びつけられることだ。こうして真剣な数学の定理、すなわち意義ある諸観念を結びつける定理は、しばしば数学自身や他の科学における重要な進展をもたらす。どんなチェス・プロブレムも、科学的思考の全体的な発展に寄与したことはない。一方でピタゴラス、ニュートン、アインシュタインは、それぞれの時代において科学的思考の方向性を全面的に変えたのだ。

ある定理の真剣さは、もちろんその帰結のうちにあるわけではない。帰結は真剣さの単なる証拠にすぎない。シェイクスピアは英語の発展に巨大な影響をもたらした。オトウェイの影響は無きに等しい。しかし、それが理由でシェイクスピアのほうが優れた詩人であるわけではない。シェイクスピアがより優れた詩人なのは、彼がよりよい詩を書いたからだ。チェス・プロブレムが格下なのは、オトウェイの詩と同じように、その帰結のためではなく、内容のためである。

もう一つ、ごく軽く触れておきたいことがある(ごく軽く、というのは、つまらない点だからではなくて難しい点だからであり、私には美学における真剣な議論をするだけの十分な資格がないからなのだが)。数学の定理の美しさはその真剣さに大きく依存している。詩においてさえ、ある一行の美しさが、そこに含まれる観念の重要性にある程度まで依存するように。私は前に、純粋な言語的様式の美しさの例として、シェイクスピアの詩から2行を引用した。しかし

After life's fitful fever he sleeps well
(生きる不安の発作からのがれ、静かに眠っているのだ)

はもっと美しく感じられる。様式は同程度に素晴らしい。そして今度は、観念に意義があり、主題がしっかりしており、それゆえに私たちの感情はより深く揺り動かされるのだ。詩においてさえ観念は様式にとって重要なのであり、当然のこととして、数学においてはもっと重要である。しかしこの問題を深追いしようとすべきではないだろう。

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そろそろ明らかなことだが、さらに歩を進めるためには、数学者の誰もが一級品と認めるような「本物の」数学の定理の例が必要である。そして私は、この本が従うべき制約のために非常に不利な状況に置かれている。一方では、私の提示する例はごく単純で、数学の専門的知識を持たない読者でもわかるものでなければならない。長々とした前提知識の説明は不要で、しかも読者が定理の主張だけでなく、証明をも辿ることが可能でなければならない。これらの条件により、例えばフェルマーの「二つの平方数」定理や平方剰余の相互法則といった、数論における最も美しい定理の多くが除外される。しかしもう一方では、私の例はとびきりの数学、専門的に研究に取り組む数学者の手になる数学から引いてこなければならない。この条件によって、比較的説明しやすいが論理学や数理哲学の領域にはみ出るような多くの定理が除外される

ギリシャ人たちへと遡る以外の手は思いつかない。私はギリシャ数学における二つの著名な定理を述べ、証明を与えよう。これらは観念と外見の両面において「単純な」定理であるが、最高級の定理であることに疑いはない。いずれも発見されたときと同じように新鮮で意義深く、二千年の歳月によっても皺一つ刻まれていない。それに、これらの定理はその主張も証明も、聡明な読者には、どんなに数学的素養が乏しくとも、一時間もかからずに理解できる。

(一)第一の例は、ユークリッドによる『原論』第IX巻20。『原論』の定理には出自が明らかでないものも多いが、この定理をユークリッド自身のものでないと考える特別な理由はない。素数が無限に多く存在することの証明である。

「素数」とは、

(A)

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, ...

という、それ以上約数の積に分解できない数である技術的な理由により1は素数とはしない。。したがって37や317は素数である。素数は、それらを元にすべての数が乗法によって組み立てられるような素材である。つまり$666=2\cdot 3\cdot 3\cdot 37$といったことだ。それ自身が素数でないようなすべての数は、少なくとも一つの(もちろん、通常はいくつかの)素数で割り切れる。われわれがすべきことは、無限に多くの素数があることの証明だ。すなわち、数列(A)には終わりがないということである。

この数列に終わりがあると仮定して、

2, 3, 5, ..., $P$

がその完結した素数の列であるとしよう(よって$P$が最大の素数である)。そしてこの仮定のもとで、

$Q=(2\cdot 3\cdot 5\cdot\dots\cdot P)+1$

という式で定義される数$Q$を考える。$Q$が2, 3, 5, $\dotsc$, $P$のいずれでも割り切れないことは明らかだ。なぜなら、これらのどの数で割っても余りが1となるからである。しかし、$Q$自身が素数でなければある素数によって割り切れるはずだから、$P$までの素数よりも大きな素数が存在する(それは$Q$自身という可能性もある)。これは$P$よりも大きな素数がないとしたわれわれの仮定と矛盾する。したがってこの仮定は誤りである。

以上の証明は「背理法」によるものであって、ユークリッドが特に好んだこの方法は、数学者の最高の武器の一つだ背理法を用いないように証明を修正することもできる。ある学派の論理学者は、それを好むだろう。これはチェスの序盤戦のどんな定跡よりもはるかに洗練されている。チェス・プレイヤーはポーンを、あるいはもっと強い駒さえをも犠牲として差し出すことがあるが、数学者は対局そのものを差し出すのである。

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(二)私が第二の例として挙げるのは、ピタゴラスによるこの証明は伝統的にピタゴラスに帰せられてきたが、実際には彼の学派によるものだ。この定理はより一般的な形でユークリッドに現れている(『原論』第X巻9)。$\sqrt{2}$の「無理数性」の証明だ。

「有理数」とは整数$a$, $b$によって与えられる分数$\dfrac{a}{b}$のことだ。$a$と$b$に共通の約数はないと仮定してよい。あれば取り除くことができるからである。「$\sqrt{2}$が無理数である」というのは、2が$\left(\dfrac{a}{b}\right)^2$という形に表されないことの言い換えにすぎない。これはまた、方程式

(B)

$a^2 = 2b^2$

を満たす共通の約数を持たない整数$a$, $b$はないということでもある。これは純粋に算術の定理であって、「無理数」についての知識はいらないし、無理数の性質についてのいかなる理論を用いる必要もない。

われわれは再び背理法によって議論する。(B)が正しいと仮定しよう——ここで整数$a$, $b$は共通の約数を持たないとする。(B)から$a^2$が偶数であることが従い($2b^2$は2で割り切れるから)、ゆえに$a$は偶数である(奇数の平方は奇数だからだ)。$a$が偶数なのだから

(C)

$a=2c$

となる整数$c$がある。そうすると

$2b^2 = a^2 = (2c)^2 = 4c^2$

すなわち

(D)

$b^2 = 2c^2$

となる。こうして$b^2$が偶数とわかり、ゆえに(前と同じ理由によって)$b$は偶数である。まとめると、$a$と$b$はともに偶数で、共通の約数2を持つ。これはわれわれの仮定に矛盾し、よって仮定は誤りである。

ピタゴラスの定理により、正方形の対角線は一辺と通約不可能である(つまりそれらの比は有理数でないということで、言い換えると両者は共通の単位の整数倍としては表されない)。というのは、一辺を長さの単位としてとり、対角線の長さを$d$とすると、これもピタゴラスに帰せられるよく知られた定理によってユークリッド『原論』第I巻47。

$d^2=1^2+1^2=2$

となり、$d$は有理数ではあり得ないからだ。

数論からは、意味だけならば誰もが理解できるような素晴らしい定理を無数に引用することができる。例えば、「算術の基本定理」と呼ばれる、どんな整数も素数の積にただ一通りのやり方で分解できるという定理がある。つまり$666=2\cdot 3\cdot 3\cdot 37$であり、他の分解の仕方はない。$666=2\cdot 11\cdot 29$とか$13\cdot 89=17\cdot 73$などということはあり得ない(なおかつ、それが実際に積を計算しなくてもわかる)。この定理は、その名が示すように、より高級な算術の基礎となる。しかし証明は、「難しい」わけではないが、多少の準備が必要で、非数学者の読者には退屈に感じられるかもしれない。

フェルマーの「二つの平方数」定理と呼ばれる有名な美しい定理もある。素数は(特別な素数2を除けば)二つの種類に分けられる。4で割って1余る素数

5, 13, 17, 29, 37, 41, ...

と4で割って3余る素数

3, 7, 11, 19, 23, 31, ...

である。第一の種類に属する素数は二つの整数の平方の和として表すことができ、第二の種類に属する素数は決してそのようには表されない。つまり

$5=1^2+2^2$, $13=2^2+3^2$

だが、3, 7, 11, 19はそのようには表されない(総当たりにより読者にも確かめられよう)。このフェルマーの定理は算術の最も素晴らしい定理の一つと考えられているが、それは正当なことだ。残念ながら、数学の専門家以外に理解可能な証明はない。

「集合の理論」(Mengenlehre)にも、連続体の「非可付番性」に関するカントールの定理のような美しい定理がある。今度の難しさはこれまでとは正反対のものだ。証明は、いったん言語を習得しさえすれば十分にやさしい。しかし定理の意味を明らかにするために、かなりの説明が必要となる。だからもう、これ以上例を挙げようとするのはやめよう。すでに挙げた例は試金石の役割を果たす。これらのよさがわからない読者は、数学のいかなるよさもわからないと思われる。

私は、数学者とは観念の様式をつくる者であり、その様式は美しさと真剣さの観点から判断されるものだと述べた。先ほどの二つの定理を理解した者が、これらの定理がそのテストに合格することに疑いを挟むことは、私には想像できない。もしこれらを、デュドニーのもっとも巧妙なパズルとか、その道の大家がつくった最高のチェス・プロブレムと比較するならば、二つの定理のほうが優位にあることは、どちらの観点からもはっきりしている。そこには紛れもない格の違いがある。これらの定理のほうが遙かに真剣であり、遙かに美しい。その優位性がどこにあるのか、もう少しくわしく見極めることができるだろうか。

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第一に、〈真剣さ〉の観点において数学の二つの定理が持っている優位性は明らかで、その差は圧倒的ですらある。チェス・プロブレムは、独創的ではあるがごく限られた観念の組み合わせにすぎず、それらの観念は根本的には似たり寄ったりだし、他分野への影響もない。仮にチェスが発明されていなかったとしても、われわれの思考法に変わりはないだろう。しかしユークリッドやピタゴラスの定理は、数学の枠を超えて、われわれの思考に深く影響している。

かくしてユークリッドの定理は、算術という構造物の要である。素数は算術を築き上げるための素材であり、ユークリッドの定理は算術の建築のために大量の素材が用意されていることを保証している。しかしピタゴラスの定理はさらに幅広い応用を持ち、より実りある議論へとつながる。

まず注目すべきは、ピタゴラスの議論がより長い射程を持つ拡張に耐えること、その仕組みをわずかに変更するだけで非常に多種多様な「無理数」に適用できることである。われわれはほとんど同じ方法によって

$\sqrt{3}$, $\sqrt{5}$, $\sqrt{7}$, $\sqrt{11}$, $\sqrt{13}$, $\sqrt{17}$

が無理数であることを(テオドロスが実行したとみられるように)証明できるし、また(テオドロスの到達点を超えて)$\sqrt[3]{2}$や$\sqrt[3]{17}$が無理数であることも証明できるハーディ、ライトによる『数論入門』第4章を参照。ピタゴラスの論法のさまざまな一般化、およびテオドロスに関する歴史的観点からの疑問が扱われている。

ユークリッドの定理は、整数の算術体系を明快な形で構築するための十分な素材があることを示している。ピタゴラスの定理とその拡張は、そのような算術体系を構築してもなお、需要に対して十分とはいえず、われわれの注意を惹く測り得ない量がたくさん存在することを意味している。正方形の対角線は最も単純な例である。ギリシャの数学者たちは、この発見が真に重要であることを直ちに認識した。彼らは初め(おそらく「常識」のもたらす「自然な」原理に従って)同種のすべての量は通約可能であること、つまり例えばどんな二つの長さもある共通単位の倍数であることを仮定し、その仮定に基づいて比例関係の理論を構築した。ピタゴラスの発見はこの基礎の不安定さを明らかにし、ユードクソスによるもっと深い理論をもたらした。『原論』の第V巻に述べられたこの理論は、現代の多くの数学者によってギリシャ数学の最高到達点とみなされている。ユードクソスの理論はその精神において驚くほど現代的なものだ。数学解析の革命をもたらし、近年の哲学にも大きな影響を与えた現代的な無理数論の、その始まりと考えることもできる。

そういうわけで、二つの定理の〈真剣さ〉に疑いはない。したがってまた、これらの定理に〈実際上の〉重要性がまったくないことは指摘に値する。実際上の応用においては、私たちは比較的小さな数だけを問題にする。天文学と原子物理学のみが「大きな」数を扱うが、これらの学問の持つ実際的な重要性は現在のところ、最も抽象的な純粋数学と比べて、ほんのわずかに大きいにすぎない。私は技術者が必要とする精度が最高でどのくらいであるか知らない——10桁もあれば十分であろう。すると

3.14159265

($\pi$の小数点以下8桁までの値)とは10桁の数の比

$\displaystyle\frac{314159265}{1000000000}$

である。1,000,000,000より小さい素数は50,847,478個ある。それで技術者にとっては十分であり、残りの素数がなくたって彼は満足なのである。ユークリッドの定理についての議論はこれで完了した。ピタゴラスの定理については、無理数が技術者の興味の対象外なのは明らかなことである。なぜなら彼の関心事は近似のみであり、すべての近似は有理数だからだ。

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〈真剣な〉定理とは、〈重要な〉観念を含むような定理のことを指す。したがって、数学的観念を重要なものたらしめる特質について、踏み込んだ分析を試みるべきなのだろう。しかしこれはきわめて難しく、私には、あまり価値のない分析しか与えることができそうにない。私たちは、試金石となる二つの定理についてそうであるように、〈重要な〉観念は、見るだけでそうと認識できる。だがその認識能力を得るには相当に高度な数学的洗練が必要だし、長い年月を数学的観念とともに過ごすことによってしか得られない種類の熟達もまた、相当な程度要求される。やはり私は何らかの分析を試みなければなるまい。そして十分とはいえないにしても、ある程度は堅固で明晰な分析を与えることが可能に違いない。ひとまず、本質的と思われるものが二つある——ある種の〈一般性〉と、ある種の〈深さ〉だ。しかしいずれの特質も、正確に定義するのはまったく容易ではない。

重要な数学的観念、真剣な数学の定理は、次に述べる意味で〈一般性〉を持たねばならない。それに該当する数学的観念は、さまざまな数学的構成物の構成要素でなければならず、多種多様な定理の証明に用いられなければならない。それに該当する数学の定理は、最初はずいぶん特殊な形で述べられたとしても(ピタゴラスによる定理のように)、大幅な拡張の可能性を持ち、同種の定理群における典型的な存在でなければならない。その証明によって明らかにされる諸関係は、数多の異なる数学的観念を結びつけるものでなければならない。今述べたことは非常に曖昧で、多くの但し書きを必要とする。しかし、これらの特質を顕著に欠いた定理の真剣さが疑わしいことをみてとるのは簡単だ。算術の分野には孤立した疑問にしか関係しないような定理がたくさんあるから、そこから例を取ればよい。ここではラウズ・ボールの『数学的娯楽』第11版、1939年(H. S. M. コクセターによる改訂版)。から、ほとんど気まぐれに二つの例を引いてこよう。

(ア)4桁の数のうちで、 8712と9801だけがその「反転」の整数倍になっている。つまり

$8712 = 4\cdot 2178$, $9801 = 9\cdot 1089$

であり、10,000未満の数で同じ性質を持つものは他に存在しない。

(イ)その各桁の3乗の和に等しい数が(1より後には)4個だけある。すなわち

$153 = 1^3 + 5^3 + 3^3$, $370 = 3^3 + 7^3 + 0^3$,
$371 = 3^3 + 7^3 + 1^3$, $407 = 4^3 + 0^3 + 7^3$

ということである。

これらの事実は奇妙なことではあって、パズル欄にはもってこいだろう。きっと素人の読者を楽しませることはできる。しかし、数学者の強い興味を惹くものは何もない。証明は難しくもないし興味深くもなくて、単に少々面倒なだけである。これらの定理には真剣さがない。その明らかな理由の一つは(最も重要なものではないかもしれないが)、定理の主張および証明がいずれも極端に特殊であって、いかなる重要な一般化も許さないことである。

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〈一般性〉というのは曖昧で、いくぶん危険な言葉でもあるから、われわれの議論の中で過度に大きな位置を占めることのないよう気をつけなければならない。この言葉は数学自体の中でも数学について書かれた著作の中でもさまざまな意味で用いられているが、それらの意味の中には、論理学者たちが特別に強調するのはまったく正当なことではあるけれども、しかし今のわれわれには完全に関係がないようなものもある。その意味を説明するのは容易である。またその意味に基づくと、すべての数学の定理は等しく完全に〈一般的〉である。

ホワイトヘッドは、「数学の確かさは、その完全な抽象的一般性に依拠している」と述べている『科学と現代世界』33ページ。。われわれが$2+3=5$と主張するとき、われわれは3グループの「もの」の持つ関係性を主張している。それらの「もの」とはリンゴというわけでもなく硬貨というわけでもなく、どんな特定のものでもなく、単なるものであり、何でもいい「もの」なのだ。上の主張の意味は、グループの構成要素の個別性からは完全に独立である。「2」、「3」、「5」、「$+$」、「$=$」といったすべての数学的な「対象」、「存在」、「関係」は、またそれらが現れるすべての数学的命題は、完全に抽象的だという意味において完全に一般的である。ホワイトヘッドの言葉には過剰な一単語があったといえる。なぜなら、この意味での一般性というのは、抽象性そのものだからだ。

〈一般性〉という語が持つこの意味は重要だし、論理学者が強調するのはまったく正しい。というのは、この意味は、もっと見識があってよいはずの多くの人々が忘れがちな、ある自明の理を表現しているからだ。例えば、天文学者や物理学者は、現実の宇宙が特定の振る舞いをせねばならないことについて「数学的証明」を得たとしばしば主張する。そのような主張はすべて、文字通りに解釈するならば、完璧に無意味である。日食が明日起こることを数学的に証明するのは原理的に不可能だ。なぜなら日食は、あるいは物理現象は一般に、数学の抽象的世界を形作る要素ではないからである。このことは、彼らがどれほど多くの日食を正確に予言してきたとしても、すべての天文学者が認めざるを得ないことだと私は思う。

しかし、われわれが今この種の〈一般性〉を問題にしているのでないことは明らかだ。われわれは複数の数学の定理の間にある一般性の違いを見出そうとしているのであって、ホワイトヘッドの意味ではそれらは同程度に一般的である。「自明な」定理として15節に挙げた(ア)と(イ)は、ユークリッドやピタゴラスによる定理とまったく同じだけ〈抽象的〉あるいは〈一般的〉だし、チェス・プロブレムも同様である。チェス・プロブレムにおいて、駒が白色と黒色なのか赤色と緑色なのかとか、物理的な「駒」の存在といったことは意味をもたない。熟練者が軽々と頭の中に納めるものと、私たちが盤の助けを借りて苦労しながら再現するものは、同じ問題なのである。盤と駒は私たちの鈍重な想像力を刺激するための道具にすぎない。それらは、数学の講義に登場する定理にとって黒板とチョークがそうであるのと同程度にしか本質的なものではない。

今われわれが着目しているのは、すべての数学の定理に備わっているこの意味の一般性ではなくて、もっと繊細でとらえどころのない種類の一般性である。15節で私が粗い言葉によって説明しようとしたのはそれであった。そしてわれわれはこの種類の一般性にも、必要以上に重きを置かないよう注意しなければならない(ホワイトヘッドを初めとする論理学者たちはその弊に陥りがちだと私は思う)。現代数学の築いた素晴らしい成果というのは、単なる「巧妙な一般化の上に巧妙な一般化を積み重ねたもの」『科学と現代世界』44ページ。ではない。ある程度の一般性は一級品の定理には付き物だが、過度の一般性は必然的に無味乾燥さをもたらす。「あらゆるものはそれ自身であって、他のものではない」。ものごとの差異は、それらの類似と同じくらい興味深い。私たちは友人を、好ましい人間的特質をすべて備えているから選ぶのではなく、彼らが、彼らがそうであるような人間であるから選ぶのだ。数学でも同じである。過度に多くの対象が共有するような性質は、たいして面白くないことが多い。そして数学的観念も、十分な個性がなければ、ぼんやりとしたものになってしまう。それはともかく、ホワイトヘッドの文句の中には、私の考えに沿ったものもある。「実りある概念というのは、適切な特殊性によって制限される大きな一般性である」『科学と現代世界』46ページ。

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重要な観念について私が課した第二の特質は〈深さ〉だったが、その定義を与えるのはさらに困難である。これは〈難しさ〉といくらか関係がある。通常、〈深い〉観念は理解するのが難しい。しかしそれらは同じというわけでは全然ない。ピタゴラスによる定理とその一般化の根底にはそれなりに深い観念があるが、それを難しいと感じる現代の数学者はいないだろう。一方で、本質的には表面的でしかないのに、証明は相当に難しい定理もある(多くの「ディオファントス型」の定理、すなわち方程式の整数解についての定理がそうであるように)。

私には、数学的観念は層をなしているように思われる。各々の層に属する観念は、その層および上下の層に属する観念との関係性のなす複合体によって、他と結ばれているのである。低層に行けば行くほど、観念は深くなる(そして一般に難しくなる)。かくて「無理数」の観念というのは整数の観念よりも深い。それゆえ、ピタゴラスの定理はユークリッドの定理よりも深い。

整数同士の関係性、もしくはある特定の層に属する対象同士の関係性に注目しよう。するとある関係性は、例えば整数のある性質は、より低層の内容に関する知識にまったく依存せずに、完全に理解できたり、認識、証明できるということも起こる。そうして、ユークリッドの定理は整数の性質のみの考察から証明されたのだ。しかし整数に関する定理には、もっと深く掘り進んで低層での現象を考えなければ正しく味わえず、まして証明することもできないものも多い。

そういった例は、素数の理論にたくさんみられる。ユークリッドの定理はとても重要だが、さほど深いわけではない。無限に多くの素数の存在を証明するのに「整除性」より深い概念は必要ない。しかしこの問題に対する答えを知った瞬間に、新たな問題群が首をもたげる。素数は無限に存在するが、その無限はどう分布するだろうか。大きな数$N$が、例えば$10^{80}$とか$10^{10^{10}}$といった数宇宙に存在する陽子の個数は$10^{80}$程度と見積もられている。$10^{10^{10}}$を通常の記法で書くと、平均的なサイズの本で50,000冊程度を占める。が与えられたとき、その$N$より小さな素数はどれくらいあるだろうか14節で触れたように、1,000,000,000より小さい素数は50,847,478個ある。これがわれわれの正確な知識の限界である。これらを問題とするとき、われわれは自分たちがまったく異なる場所にいることを知る。われわれはそれらの問題に、驚くほどの正確さをもって答えることができる。しかしそれは、ずっと深く掘り進んで、いったん整数たちよりも低層に達し、現代的な函数論という最強の武器を使うことでなされる。それゆえ、われわれの問題の答えを与える定理(いわゆる「素数定理」)は、ユークリッドやピタゴラスのものよりもずっと深い定理である。

もっと例を挙げることもできるが、〈深さ〉の概念はそれを認識できる数学者にとってもとらえどころがないのであり、それ以外の読者には、これ以上私が説明を加えてみても大きな助けになるとは思われない。

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私は11節で〈真の数学〉とチェスとの比較を始めたが、そこで触れたきり、そのままになっている問題がもう一つあった。われわれはもう、真の数学の定理が、その実質、真剣さ、重要性の面において圧倒的な優位性をもつことを前提としてよいだろう。そして、訓練された知性にとっては、数学の定理が美の面においてさえ優位性を持つことも、ほとんど同様に明らかである。だがこの優位性を定義したり、その在処を見極めることはたいへん難しい。というのは、チェス・プロブレムの主要な欠陥は単なる〈自明さ〉であり、その点における差異がもっと純美学的な差異と混同され、判断が惑わされるからである。ユークリッドやピタゴラスのものに類する定理にみられる〈純美学的〉な特質とは何だろうか。私は断片的な二、三の指摘をするにとどめる。

二つの定理には(ここで私は、当然ながらそれらの証明をも含めている)、いずれにも非常に高度な〈意外性〉があり、また〈必然性〉、〈効率性〉もある。二つの定理の論理展開は、思いもよらない奇妙な形をしている。使われている武器は、それらの結果の持つ長い射程と比べると、ひどく子供じみた単純なものに思われる。しかし結論は必然であって、逃げ場はないのだ。議論に入り組んだところはない——いずれの定理も一撃で陥落する。このことは、もっと遙かに難しい定理の多くについても、それを深く味わうにはとても高度な技術的訓練が必要になるけれども、同様なのである。私たちは数学の定理の証明において、〈変奏〉がいくつも現れることを好まない。〈総当たり法〉は、いかにも、退屈な数学的議論の形態の一つである。数学の証明は、単純でくっきりとした星座のようなものであるべきで、天の川にまぎれたぼんやりした星屑の集まりであってはならない。

チェス・プロブレムにも意外性はあるし、ある種の効率性もある。つまり、各々の手に驚きがあることや、すべての駒が何らかの役割を果たすことは不可欠である。しかしチェス・プロブレムの持つ美学的効果は集積的なものである。(そのプロブレムがあまりに単純なつまらないものでない限り、)要となる一手の後にはたくさんの手筋が存在していて、各々の手筋が個別の対応法を持つべきである。「もしP-B5ならばKt-R6、もし○○ならば○○、もし○○ならば○○」といった具合に。対応法があまり分かれないのなら、美学的効果は損なわれる。これらは本物の数学には違いないし、それなりの美点もある。だがこれは、あの〈総当たりによる証明〉であって(しかも場合分けによって現れる各々の状況には、根本的にはたいした違いはない私の理解によれば、プロブレムが同種の手筋をたくさん持つことは美点であると考えられている。)、真の数学者が軽蔑する傾向にあるものに他ならない。

以上の議論は、私には、チェス・プレイヤー自身の感性によっても補強されるように思われる。名局名棋戦を残してきた、チェス・マスターと呼ばれるようなプレイヤーは、本心ではチェス・プロブレム作家の純数学的創作を蔑んでいるに違いない。彼は自分の中にそういった創作をたくさん秘めていて、いざとなれば披瀝することもできる。「彼がこうしてこう動いた場合には、私はこうしてこうする詰み筋を読んでいた」。しかしチェスの「名局」とは、第一に精神的なものである。訓練された知性同士の激突であり、ただのちっぽけな数学的定理の集まりではないのだ。

19

そろそろオクスフォードでの弁明に立ち戻り、6節で後回しにしたいくつかの点を、もう少し丁寧に検討しなければならない。これまで述べたことから、私の関心が数学の創造的芸術としての側面だけにあることは明らかだろう。だが、他にも考察すべき問題はある。特に数学の〈有用性〉(あるいは非有用性)の問題をめぐる議論には混乱がみられるから、これは取り上げるべきである。われわれはまた、数学が果たして実際のところ、私がオクスフォードでの講演で前提とした程度に〈無害〉なものなのかという点についても考えねばならない。

科学や芸術の一つの分野が〈有用〉であるという言い方を、その発展が、たとえ間接的にであれ、人間の物質的繁栄に寄与したり幸福を生み出すことを意味するものとして用いることができよう。ただし幸福という語を、ここでは浅薄で平凡な用法で用いている。そうすると、医学や生理学は苦しみを和らげるので有用だし、工学は家や橋を造り生活水準を上げる助けになるので有用だ(もちろん工学は害をなすこともある。しかし、目下それは問題にしていない)。さて、ある種の数学は、確かにこういった形で有用である。技術者の仕事は数学の実際的知識をかなり持たないことには成り立たないし、生理学においてさえ数学は応用されつつある。したがってわれわれは、これを数学の弁護のための根拠とすることができる。この根拠は最良ではないかもしれないし、非常によいとさえもいえないかもしれないが、一考すべきものではある。より〈高尚な〉数学の利用法、つまりすべての創造的芸術と共通する利用法は、そういうものが存在するとしても、ここでの考察とは無関係である。数学は、詩や音楽がそうであるように、「精神の気高さを促進し維持する」。そうして数学者の幸福や、またその他の人々の幸福をも増大させる。だがそれを根拠とする数学の弁護とは、私が先ほどまで言ってきた内容を詳述することでしかない。今考えるべきことは、数学の〈浅薄な〉有用性である。

20

そんなものはまったく明らかだと感じられるかもしれないが、それでもしばしば、多くの誤解が生じている。というのは、特別に〈有用〉な学問といっても、それは多くの場合、大多数の人にとっては身につけても仕方がないものでしかないからだ。十分な人数の生理学者や技術者の供給は有用である。だが生理学や工学という学問を身につけることは、一般人にとって有用ではない(もちろん、それを学ぶことは他の根拠によって弁護され得るが)。私個人についていえば、純粋数学以外では、自分自身のそういった科学的知識が役に立ったことは、ただの一度もなかった。

科学的知識が一般人にとっていかに実用的価値がないか、大きな実用的価値を持つものがいかに退屈で平凡か、実用的価値がいかに名声の高さと相反するかは、まったく驚くべきほどだ。一般的な算術にある程度慣れることは有用である(かつ、もちろんそれは純粋数学である)。いくらかのフランス語やドイツ語、いくらかの歴史と地理の知識も有用だし、あるいはいくらかの経済学の知識さえもそうだろう。しかし、いくらかの化学、物理、生理学を知っていても、普通に生活を送る上では何の価値もない。私たちはガスの成分を知らずとも、それが燃焼することを知っている。車が故障したら、修理屋に持っていく。胃の調子が悪ければ、医者にかかるか薬局に行く。私たちは、経験知や他者の専門知によって生きているのである。

だがこれは脇道に逸れた話で、一種の教育論にすぎず、そんなものに興味を示すのは、息子に〈有用〉な教育を与えよとわめく親を諭さねばならない教師だけだろう。われわれは当然、生理学が有用だと言うとき、人はみな生理学を学ぶべきだということではなく、ごく少数の専門家による生理学の発展が多くの人々の生活を快適にすることを主張するのである。われわれにとって今重要な問題は、数学がこの種の有用性をどれだけ主張できるか、どんな数学がそれを強く主張できるか、徹底的な数学の研究が、数学者の知るそれがということだが、この根拠のみによってどこまで正当化されるかである。

21

私の到達する結論は、すでに明らかであろう。そこでまず結論を独断的に述べ、それからいくらかの説明を試みよう。初等数学の大部分が、実際的にかなり有用であることは否定できない(ここで「初等」という語は、専門的数学者の用法で使われている。つまり、例えば微分法や積分法に関する相当程度の実際的知識を含む)。これらの数学は、総じて退屈で、美学的価値に最も欠ける部分にすぎない。〈真の〉数学者による〈真の〉数学は、つまりフェルマー、オイラー、ガウス、アーベル、リーマンの数学は、ほとんど全然〈有用〉でない(これは「純粋」数学の場合でも「応用」数学の場合でもそうである)。いかなる本物の専門的数学者の人生も、彼の仕事の〈有用性〉を根拠として正当化されることはない。

だがここで、ある誤った認識について触れておく必要がある。時折仄めかされる言説として、純粋数学者は自身の仕事の非有用性を誇りとしており私もそういった考え方をしていると非難されてきた。かつて私は「ある科学が有用とされるのは、その発展が富の偏在を助長するとき、またはより直接的に人間生活の破壊を促進するときである」と書いたことがある。1915年のこの文は、(肯定的にも否定的にも)幾度か引用された。もちろんこれは意識的な修辞的装飾だが、しかしこれが書かれた当時には許容されたものだろう。、それが実際的応用を持たないことを鼻に掛けているというものがある。この非難はしばしば、ガウスのものと伝えられる、ある不用意な発言に基づいてなされる。曰く、数学が科学の女王であるならば、数論はその最高の非有用性によって数学の女王である——私は正確な原文を見つけることができていない。だがこのガウスの発言(本当に彼のものだとして)は、ひどく誤解されてきたのだと私は確信する。もしも数論が、何らかの実際的で、かつ明らかに称賛されるべき目的で応用されるならば、つまり生理学やあるいは化学にさえも可能であるように、人々を幸福にしたり彼らの苦しみを和らげることに直接用いられるならば、ガウスも他の数学者も、その応用をけなしたり残念がったりするほど愚かではないはずだ。しかし、科学は善ばかりでなく悪のためにも用いられる(もちろん、戦争のときには特にそうである)。ガウスや彼に劣る数学者たちは、人間の通常の生活から遠く離れているがゆえに穏やかで清潔な存在であり続ける科学がともあれ存在すること、しかも彼らの専門分野がそれであることを、歓んでも許されるだろう。

22

もう一つの誤解についても守りを固めておかねばならない。「純粋」数学と「応用」数学の間に有用性の面で大きな違いがあると考えるのは、ごく自然なことだ。だが、これは思い違いである。これら二種の数学には、すぐに説明するように明確な区別があるが、その差異は有用性にはまったく関係しない。

純粋数学と応用数学はどのように異なるのだろうか。これは明確に答え得る問いであり、数学者の間には概して一致した意見がある。私の答えに常識外れな点はまったくないが、しかし、少々の前置きが必要である。

次節からの2つの節は、いくぶん哲学的な趣を帯びる。その哲学は深みには達しないし、私の主要な主張にとって不可欠でもない。だが、以下では日常的な語句を明確な哲学的意味を込めて用いるので、その用法を説明しておかないと、読者の混乱を招く恐れがある。

私は〈真のリアル〉という形容詞をしばしば用いたが、その用法は日常会話と同様であった。〈真の詩〉や〈真の詩人〉と言ったかもしれないのと同じように、〈真の数学〉や〈真の数学者〉と言ってきた。そしてこの用法は引き続き使う。その一方で私は、〈現実リアリティ〉という言葉をも用いる。しかも、二つの異なる意味合いでそうする。

まず、私は〈物理的現実〉という表現をするが、この「現実」とは、再びいつも通りの意味である。つまり、物理的現実というのは物質世界のことを指す。昼と夜、地震と日食の世界、物理的科学が説明しようとする世界である。

読者はここまでの私の言葉遣いには苦労しないだろう。しかしここからが難しい。私にとっては、また多くの数学者にとってもそうだと思うのだが、今述べたのとは別の現実が存在する。それを私は〈数学的現実〉と呼ぶ。数学的現実の性質については、数学者の間にも哲学者の間にも、いかなる共通の合意も存在しない。ある者はそれを〈心的〉なものと捉え、何らかの意味でわれわれが構築するものだと考えるが、別の者はそれは外部に存在して、われわれとは独立なものだとする。数学的現実について説得力のある説明を与えることができたら、それは形而上学の最も困難な問題の多くを解決したということに他ならない。もし物理的現実をも含めて説明することができたなら、難問のすべては解決されたことになる。

これらの問題に取り組むことは、たとえ私にそれに見合う力量があったとしてもここで望むべきではないが、つまらない誤解を防ぐために、私自身の立場を独断的に述べておこう。私は数学的現実が、われわれの外部にあると信じている。われわれの役割はそれを発見あるいは観察することであり、われわれが証明し、われわれが自らの「創造物」だと仰々しくも述べる定理は、われわれの観察の記録にすぎないと考える。これはプラトンを初めとする数多の名高い哲学者が多様な形で採用してきた見解であり、私の言葉遣いはその見解を採用する者にとって自然なものである。この哲学を受け入れない読者は、言葉遣いを変更すればよい。結論にはほとんど影響がない。

23

純粋数学と応用数学の差異は、おそらく幾何学において最も明瞭に表れる。射影幾何学、ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学といった多様な幾何学を対象とする、純粋幾何学という分野があるこの議論のためには、われわれはもちろん、数学者が「解析」幾何学と呼ぶものも純粋幾何学に入れる必要がある。。各々の幾何学はいずれもモデルであって、観念のなす様式であり、その様式の興味深さや美しさによって評価されるべきものである。それは多数の人々の共同作業によって作られる地図あるいは描写であり、不完全な(しかしそれが及ぶ範囲においては正確な)数学的現実の断片である。だが今のわれわれにとって重要なことは、純粋幾何学がそれを描写していないものが,少なくとも一つあるということだ。つまり、物理的世界の時空的現実である。そのことは明らかで、疑う余地はない。なぜならば、地震や日食は数学的概念ではないからだ。

これは部外者には逆説的に感じられるかもしれないが、幾何学者にとっては自明の理である。次のような説明が理解の助けになるかもしれない。私が幾何学のある体系、例えば普通のユークリッド幾何学の講義をしているとしよう。聴衆の想像を掻き立てるため、私は黒板に図を描く。直線や円や楕円の大雑把な図である。まずはっきりしているのは、私の証明する定理の正しさは、私の図の上手さとは関係がないということだ。図の役割はただ、私の意図を聴衆に深く実感させることにあり、そのことさえできるならば、熟練の製図工によって描き直させても得るものはない。それは教育的な図版に過ぎず、講義の真の主題とは異なるところにある。

もう一段階先に進もう。私の講義する部屋は物理的世界の一部であり、それ自身が様式を持っている。その様式の研究や、物理的現実における一般的な様式の研究は、それ自身として〈物理的幾何学〉とでも呼ぶことのできる一つの分野である。さてここで、室内に猛烈な発電機が、あるいは巨大な引力を及ぼす物体が持ち込まれたとしよう。そのとき、物理学者は室内の幾何が変更されたといい、物理的様式の全体がわずかに、しかし決定的に歪められたという。ところで私が証明した定理は誤ったものになるだろうか。いや、私の与えた証明が影響を受けたなどと考えるのは馬鹿げている。それはシェイクスピアの戯曲が、読者があるページに紅茶をこぼしたから変化すると考えるようなものである。戯曲はそれが印刷された本のページからは独立しており、「純粋幾何学」は講義室やその他の物理的世界のありようから独立している。

これは純粋数学者の見方である。応用数学者や数理物理学者は当然ながら異なる見方を持つが、それは彼らが物理的世界に心を奪われており、それにはそれ自身の構造や様式があるからだ。その様式は純粋幾何学の様式ほど正確には記述できないが、何らかの重要なことを述べることはできる。われわれは、物理的世界の構成要素同士の関係性を、あるときはそれなりに正確に、またあるときは非常に大雑把に記述し、それを純粋幾何学の体系における構成要素同士の厳密に正確な関係性と比較することができる。これらの二種の関係性の間に、ある種の類似を見出すこともあるだろう。そのとき、純粋幾何学は物理学者の関心の対象となる。純粋幾何学はその限りにおいて、物理学的世界の「現実に合致する」地図を与えるのだ。幾何学者は物理学者に、選択の候補となるさまざまな地図を提供する。おそらくある地図は他の地図と比べてよりよく現実に合致するだろうから、その地図のもととなる幾何学は、応用数学にとって最も重要な幾何学となる。あるいは純粋数学者すらも、その幾何学を好む気持ちが高まるのを感じるかもしれない。というのは、物理学的世界への興味をまったく持たないような純粋な数学者はいないからだ。だが、その誘惑に屈服してしまったならば、彼は純粋数学的な立場から離れることになるのである。

24

ここでなすべき注意がもう一つある。物理学者には逆説的に感じられるかもしれないが、その度合いは18年前よりも小さくなっていると思う。1922年に大英協会の分科会Aで行った講演とほとんど同じ言葉を使って説明しよう。当時の聴衆の大多数は物理学者だったので、そのときは少々挑発的な表現をしたかもしれないが、しかし私は今も、そこで述べた本質的な内容は正しいと思っている。

私は次のように始めた。数学者と物理学者の立場には一般に思われているほどの違いはおそらく存在せず、最も重要な違いは私がみるところ、数学者のほうが現実に、より直接的に接触しているということである。これは逆説的に思われるかもしれない。というのは、物理学者の取り組む主題のほうが普通は「現実的」と言い表されるからだ。しかし少し考えれば、物理学者にとっての現実が、それが何物なのかはともかく、人の備える常識が本能的に現実というものに対して求める属性を、ほとんど、もしくはまったく持っていないことが明らかになる。一脚の椅子は回転する電子の集まりかもしれないし、神の意識の中にある一つの観念かもしれない。各々の解釈にはそれぞれに利点があるが、いずれも常識の示すことからはかけ離れている。

そして次のように続けた。物理学者も哲学者も、〈物理的現実〉とは何かということについて、何らの説得力ある説明をも与えてはいない。あるいは物理学者が、混迷した事実や感覚の総体から出発して、彼が〈現実〉と呼ぶものの構築にどのように辿り着くのかということについてもそうだ。したがって、われわれは物理学の主題が何なのか、知っているとはいえない。しかしそれは、物理学者の目指すことを大まかに理解するのを必ずしも妨げない。物理学者はもちろん、眼前にある雑然としたむき出しの事実の群れを、抽象的関係性のなす何らかの明確で整然とした体系によって統制しようとしているのである。そしてその体系は、数学からのみ借りてくることができる種類のものだ。

一方で数学者は、彼自身の数学的現実に取り組んでいる。この現実については、22節で説明したように、私は「実在論的」な見方を採用し、「観念論的」な見方は採らない。いずれにせよ(そしてこれが私の主な論点だった)、この実在論的な見方は、物理的現実よりも数学的現実についてずっと確からしいのである。それは、実は数学的対象のほうが、見た目の姿そのものであるからだ。一脚の椅子や一個の星は、みかけとはいささかも似ていない——考えれば考えるほど、その輪郭は周りを取り囲む感覚のもやに包まれ、ぼやけていってしまう。だが「2」や「317」は、感覚とは関係がなく、その性格は綿密に調べるほどに明確に立ち現れる。現代物理学は観念論的哲学における何らかの枠組みに最もよく当てはまるのかもしれない。私はそれを信じてはいないが、そう主張する高名な物理学者たちはいる。その一方で、純粋数学は、すべての観念論をつまずかせる石であるように私には思われる。317が素数なのはわれわれがそう考えるからではなく、あるいはわれわれの意識が何らかの特定の形をなしているからではなく、それがそうだからそうなのだ。数学的現実がそのようにできているからなのだ。

25

以上の純粋数学と応用数学についての区別は、それ自身としては重要だが、数学の〈有用性〉に関するわれわれの議論にはほぼ無関係である。21節で私は、フェルマーを初めとする偉大な数学者による〈真の〉数学、すなわち最高のギリシャ数学のような永遠の美的価値を持ち、最高の文学と同様に、幾千年の時を経てもなお幾千もの人々に情感に訴える深い満足をもたらし続けるという意味で、不滅の存在となった数学について触れた。それらを創った人々は主として純粋数学者であるが(当時その区別は今ほどはっきりしたものではなかったに違いないが)、私は純粋数学だけを考えていたわけではない。マクスウェル、アインシュタイン、エディントン、ディラックを、私は〈真の〉数学者のうちに含めている。近年における応用数学の偉業は相対論や量子力学においてなされたが、これらの分野は、現時点では少なくとも、数論とほとんど同じくらい〈有用〉でない。善なり悪なりのために利用されるのは、純粋数学の場合と同様に、応用数学でも最も退屈で初等的な部分である。これは時とともに変わるのかもしれない。行列、群といった純粋数学の理論が現代物理学に応用されることを予測した人はいなかったのだから、〈高尚な〉応用数学の一部が予期せぬ形で〈有用〉となることもあるかもしれない。しかし現時点での証拠が指し示す結論は、純粋数学にしても応用数学にしても、実際の生活に役立つのは平凡で退屈な部分だけだということだ。

エディントンが、〈有用な〉科学の魅力の乏しさについてよい例を挙げたことがあった。あるとき大英協会の会議がリーズで開かれることになり、会員は「重羊毛」産業における科学の応用に関する話題を何か期待しているだろうということになった。しかし、そのために企画された講演と実演は大失敗に終わった。会員は(リーズの市民であるか否かによらず)面白がりたかったのであり、「重羊毛」は面白い話題では全然なかったのだ。だからそれらの講演の出席者数は惨憺たるものだった。しかしクノッソスの遺跡発掘作業、あるいは相対論、あるいは素数の理論について講演をした人々は、その話題に惹かれてやってきた聴衆の多さに喜ぶこととなった。

26

数学のうち、どの部分が有用であろうか。

まず、大学以前で習う数学の大部分、すなわち算術、初等代数、初等的なユークリッド幾何学、初等的な微分法と積分法である。「専門の生徒」に対し講義されるような内容の一部、例えば射影幾何学は、除く必要がある。応用数学においては、基礎的な力学も有用だ(電気学は、大学以前の学校で教えられる範囲では、物理学に類別されるべきである)。

次に、大学数学もある程度の割合は有用である。つまり、学校数学をより研ぎ澄まされた技術によって発展させたにすぎない部分のことだ。電気学や流体力学といった、物理的な分野の一部もそうである。また、次のことも心に留めておくべきだ——知識を多く蓄えておくことは常に優位をもたらすのであって、もし最も経験豊かな数学者の知識が、彼に不可欠な最小限のものになってしまったら、彼の能力は深刻な制限を受けるだろう。そういう理由で私たちは、各々の項目についていくらかのことを学ばねばならない。だが原則的な結論としては、そのような数学は、有能な技術者や平均的な物理学者に必要であるがゆえに有用なのだとしてよかろう。それらの数学はとりたてて美的価値を持っていないと言っても概ね同じことである。例えばユークリッド幾何学が有用なのは、その退屈な部分に限られる——われわれには平行線公準や、比例の理論や、正五角形の作図法は不要である。

すると次の奇妙な結論に達する。純粋数学は全体として、応用数学よりも明確に有用なのである。純粋数学者は美的側面だけでなく、実用的側面においても優位性を持っているように思われる。何よりも有用なのは技術であり、数学的技術は主に純粋数学を通じて教授されるからだ。

言うまでもなく私は、数理物理学という、圧倒的な問題を備え、最高級の想像力が咲き乱れてきた絢爛たる分野を貶めようとしているのではない。しかし、普通の応用数学者の立場というのは、ある意味で少々痛ましくはないだろうか。彼が有用な存在であろうとすれば平凡な仕方で仕事をしなければならないし、彼が高みに登ることを望んでも想像を自在に羽ばたかせるわけにはいかない。「想像上の」宇宙は、この馬鹿らしい姿をした「現実の」宇宙より遙かに美しい。応用数学者の想像力による最良の産物のほとんどは、それが生まれた瞬間に放棄されることになる。それが現実に適合していないという、残酷だが十分な理由によって。

原則的な結論は、まったく十分にはっきりしている。もしも有用な知識というものが、われわれがひとまず認めたように、現在か比較的近い将来において人類の物質的な豊かさに貢献するものを指し、したがって単なる知的満足とは無関係なのだとすれば、高度な数学のほとんどすべては有用でない。現代的な幾何学や代数学、数論、集合論や函数論、相対論、量子力学——どれも五十歩百歩で有用性の基準には達しないし、有用性を根拠としてその人生が正当化されるような真の数学者はいない。これが基準であるのならば、アーベル、リーマン、ポアンカレは一生を無駄にしたのだ。人類の豊かさに対する彼らの貢献は無視できる程度でしかなく、彼らがいなかったとしても、世界は今と同じ程度に幸せな場所だったことだろう。

27

私の〈有用性〉の概念は狭すぎると反論することも可能と思われる。有用性を〈幸福〉や〈快適さ〉のみによって定義し、数学の全般的な〈社会的〉影響を無視していると。後者は近年さまざまな著者によって重視されている——背景とする共感の質には大きな隔たりこそあるが。例えばホワイトヘッド(彼は数学者だった)は「数学的知識の人間生活、日々の仕事、社会の効率性に及ぼす巨大な影響」について語り、ホグベン(彼はホワイトヘッドと異なり、私や他の数学者が数学と呼ぶものについて共感を持たない)は「量や順序に関する文法であるところの数学に関する知識がなければ、万人が余暇を楽しみ、誰も困窮しない、そんな合理的社会を計画することはできない」と述べる(そして、この同じ影響について何度も繰り返す)。

だが私は、これらの雄弁が数学者を安堵させると心から信じることはできない。二人の言葉は猛烈に誇張されており、どちらも明白な差異を無視している。ホグベンの場合には、彼はもちろん数学者ではないのだから、それはごく自然である。彼の言う「数学」とは彼の理解できる数学のことであって、私が「学校」数学と呼んだものだ。この数学には私も認めたように多様な利用法があり、望むならばそれを「社会的」と言ってもよいだろう。ホグベンはそれを、数学的発見の歴史に関する多くの興味深い指摘によって補強している。この点において彼の本には価値がある。それらの指摘により、今までもこれからも数学者ではない多くの読者に対し、彼らが思うよりも数学は豊かな内容を持つのだということを明らかにしているからだ。だがホグベンは、〈真の〉数学についての理解をほとんど持っていないし(ピタゴラスの定理、あるいはユークリッド、アインシュタインについての彼の記述を読めば誰でもすぐにわかる)、共感はもっと持っていない(彼はそれを示すために惜しみない労力を費やす)。彼にとって、〈真の〉数学とは、軽蔑と哀れみの対象にすぎない。

ホワイトヘッドの場合には、問題は理解や共感の不足にあるわけではない。しかし彼は熱心さのあまりに、彼がよく知っているはずの違いを忘れている。「日々の仕事」や「社会の効率性」に「巨大な影響」を持つのは、ホワイトヘッドのではなくホグベンの数学だ。「普通の人の普通の用事」に使うことのできる数学は無視できるほどのものであり、経済学者や社会学者の使う数学も「学問の基準」には達しない。ホワイトヘッドにとっての数学は、天文学や物理学には深く影響するかもしれない。哲学においても、はっきり認められるほどの影響があり得る——ある領域における深い思考は、別の領域における深い思考に容易に影響を及ぼす。だが他の学問には、ごくわずかにしか影響しない。ホワイトヘッドにとっての数学の「巨大な影響」というのは、人間一般にではなく、ホワイトヘッドのような人物のみにもたらされてきたのだ。

28

そういうわけで、数学には二種類ある。真の数学者による真の数学と、さしあたって〈自明な〉数学と以下呼ぶものだ。自明な数学は、ホグベンや彼の一派の感性には響くような議論によって正当化されることもあろう。しかし、真の数学に対してはそのような弁護はなく、正当化されるとすれば芸術としてのみ正当化されるのである。この見方には逆説的な点も独特な点もまったくなく、数学者の間では共有された見方である。

だが、まだ考えるべき問題が一つある。われわれは、自明な数学は概して有用であり、真の数学は概して有用でないと結論した。自明な数学はある意味で善をなし、真の数学はその意味で善をなさない。しかしまだ問うべきことがある——どちらの種類の数学がをなすかである。平和な時代においては、どんな種類の数学であれ、それが大きな害をなすという考えは逆説的であろう。そうしてわれわれは自然に、戦争に対する数学の影響を考察することになる。この問題について冷静に議論することは現在は特に難しいから、私はこの問題を避ける選択をすべきだった。だが何らかの議論は必要と思われる。幸いなことに、それは手短に済ませられる。

真の数学者が心の安らぎを覚えるような一つの結論がある。真の数学は、戦争には影響を及ぼさない。数論や相対論を戦争に役立たせる方法は誰も見出していないし、これからも長い間、見出されるとは思われない。弾道学や航空力学といった、戦争のためにつくられ、比較的高い技術を要する応用数学の分野が存在するのは事実である。これらを〈自明〉とするのは難しいかもしれないが、〈真の〉と言うほどではない。これらの分野はまったく、身の毛がよだつほど醜く、耐えがたいほど退屈である。リトルウッドでさえ弾道学を見苦しくないものにはできなかったのだし、彼にできなかったのなら誰に可能だというのか。したがって真の数学者には負い目はない。その業績の持ち得る価値を落とすものは何もない。オクスフォードで私が述べたとおり、数学は「無害な」職業である。

その一方で、自明な数学は戦争における多くの応用を持つ。それなしには、例えば砲術の専門家や航空機の設計士の仕事は成り立たない。そして、そういった応用が全体としてもたらす影響は明白である。数学は、現代的、科学的な「全面」戦争の実現を手助けしている(物理学や化学の場合ほど明らかではないにしても)。

これは一見すると残念なことのようだが、実際の当否はそれほど明らかではない。現代の科学的戦争については、二つの正反対の見方があるからだ。その一つは当然存在する見方で、科学のもたらす影響は戦争において、単純に、その恐ろしさを拡大しているとするものである。戦闘にかり出される少数の人々の苦痛を増大させ、また苦痛の及ぶ範囲をその他の人々にも広げるというものだ。これは自然かつ伝統的な見方である。しかし、それとは大きく違いながらも同様に批判に耐え得る見方が、ホールデンの『カリニコス』でJ. B. S. ホールデン『カリニコス——化学戦争の正当化』(1924年)。強調されている。つまり次のような主張だ——現代の戦争は科学以前の戦争よりも恐ろしさの度合いが小さいとか、爆弾は銃剣よりもおそらく慈悲深いとか、軍事目的の科学が生み出した催涙ガスやマスタード・ガスは歴史上最も人道的な武器かもしれないとか、伝統的な見方は考えの浅いセンチメンタリズムこの言葉は一般にひどく誤用されているが、そのことで問題に予断をもたらすことを私は望まない。この言葉は、ある種のバランスを欠いた感情を指すものとして適切に用いることができる。もちろん、「センチメンタリズム」と言うことで他者の慎み深い感情を揶揄し、「リアリズム」と言うことで彼ら自身の残酷さを隠す人も多く存在する。のみに基礎をおいているといったものである。さらには(これらはホールデンの議論に含まれるものではないが)、科学がもたらすとされる危険の平均化は長い目でみれば好ましいとか、一般市民と軍人の生命の価値、あるいは女性と男性の生命の価値に差はないとか、何が起こるにせよ戦争の残酷さが特定の人々に集中するよりはましだとか、要するに、戦争が「全面的」になるのは早ければ早いほどいいのだと力説することもできるだろう。

どちらの見方が真実に近いのか、私にはわからない。これは緊急かつ現在進行中の問題だが、ここで議論することもあるまい。この問題は〈自明な〉数学にのみ関係するのであり、それを弁護するのは私というよりホグベンの仕事だ。彼の数学は少なからず汚されているかもしれないが、私の数学には影響はない。

いや、本当は、さらに述べるべきことがある。というのは、真の数学が戦時に果たし得る役割がとにかく一つあるからである。世界が狂気の中にあるとき、数学者は数学の中に、これ以上ない鎮痛剤を見出すだろう。それは数学が、すべての芸術と科学の中で、最も禁欲的で最も彼方にあるからだ。数学者はあらゆる人々の中で最も容易に、バートランド・ラッセルの言う「私たちの高貴な衝動のうちの少なくとも一つが、現実という異邦での陰鬱な生活から最もよく逃れられる場所」に避難することができる。残念ながら一つの重大な留保が必要であるが——彼は老いすぎていてはならない。数学は瞑想的ではなく創造的な学問である。創造する力や欲望を失った者には、たいした慰めを与えはしない。そしてその時は数学者には非常に早く訪れる。これは悲しむべきことだが、そうなったなら彼はいずれにせよ瑣末な存在に過ぎないのであり、彼を気にかけるのは愚かなことだろう。

29

締めくくりにあたって私の結論をまとめるが、それをより個人的な形で行いたいと思う。私は冒頭で、自分の分野を弁護する者は、自分自身を弁護することになるだろうと述べた。そして専門的数学者の人生に関する私の正当化は、根本的には私自身の正当化にならざるを得ないだろうと。したがってこの結びの節は、本質的に、私の自叙伝の断片になる。

私には、数学者以外の何かになりたいと思った記憶がない。自分の才能がその方向にあることは幼い頃から明らかだったと思うし、年長者たちの判断を疑う気持ちは生じなかった。子供だった頃、数学に対し何らかの情熱を感じた記憶はなく、数学者の職業人生についておそらく私が思い描いていたイメージは、高貴さからは程遠かった。私は数学を、ただ試験や奨学生資格と結びつけて考えていた。私は他の少年たちを打ち負かしたいと望み、私が完膚なきまでにそれを実行できるのは数学においてであると思われた。

15歳の頃になって、私の野心は(だいぶ風変わりな仕方で)大きく転換した。「アラン・セント・オービン」「アラン・セント・オービン」とはフランシス・マーシャル女史であった。マシュー・マーシャルの妻である。による『トリニティのフェロー』という、ケンブリッジの大学生活と思われるものを扱ったシリーズの一冊があった。その本はマリー・コレリの本の大部分より劣悪だと思う。しかし、ある賢い少年の想像力に火を点すような本は、まったく駄目な本だということにもならないだろう。その本には二人の主人公がいた。第一の主人公はフラワーズといい、ほとんどあらゆる方面で秀でた存在で、第二の主人公ブラウンは、それに大きく劣る器だった。フラワーズとブラウンは大学生活の中で多くの危険な目に遭う。中でも最悪だったのは、チェスタトンの、ベレンデンという魅力的だが邪悪な若い姉妹が仕切る賭博サロンだったチェスタトンには実際に特筆すべき美点がない。。フラワーズはそういった危機をすべてくぐり抜け、セカンド・ラングラー、そしてシニア・クラシックとなり、自動的にフェローの地位を得た(それはそうなるだろうと私も思う)。ブラウンは誘惑に負け、両親を破産させ、酒に溺れ、雷雨の中で下級学生監の祈りによってなんとか精神錯乱から救われ、やっとのことで通常の学位オーディナリー・ディグリーを取得して、最終的には宣教師になった。これらの不幸な出来事によっても、彼らの友情は壊れることはなかった。フラワーズは愛情と同情をもってブラウンに思いを巡らせつつ、彼は初めて、上級談話室でポートワインを飲みクルミを口にする。

フラワーズは十分に立派なフェローではあったが(「アラン・セント・オービン」が描くことのできた範囲において)、まだ未熟な知性しか持たない私にさえも、彼を賢いと認めるのはためらわれた。彼にすらこれらができたのなら、自分にできないはずがあろうか。特に、最後の談話室における場面は私を完全に魅了した。その時から、私がそれを手に入れるまでの間、数学とは私にとって、まず第一にトリニティのフェロー資格のことを意味するようになった。

ケンブリッジにやって来るとすぐ、私はフェロー資格が「独創的な仕事」を意味することを知った。しかし、研究について何らかの具体的な考えを形成するまでには長い時間がかかった。私はもちろん、それまでの学校で、すべての数学者の卵と同様に、しばしば教師よりも数学がよくできるという経験をした。そしてケンブリッジでも、もちろんそれまでより頻度は落ちたが、カレッジの教師よりもうまくできることがあった。だが私は、トライポスを受験する時期になってさえも、私がその後の人生のすべてを費やすことになる対象について、本当に無知であった。私はまだ、数学を基本的に「競争的な」対象とみなしていた。私の目を初めて開かせたのはラヴ教授であった。私は彼に数学期にわたり解析学の重要な概念について教わったのだが、私が彼に大きく負っているのは——彼は結局のところ、主として応用数学者だった——ジョルダンの有名な『解析学教程クール・ダナリズを読むようにという助言だった。私は、私と同世代に属する多くの数学者に最初の霊感を与えた、あの重要な著作を読んだときの驚きを忘れることはないだろう。そうして私は、数学が本当に意味するものを初めて学んだのだった。そのときを境にして、私は自分なりに真の数学者になったのである。堅固な数学的野望と、本物の情熱を備えた数学者に。

その後の10年間はたくさんの論文を書いたが、いかなる意味でもほとんど価値のないものだった。今でも何らかの満足とともに思い出せる論文は、4編か5編しかない。私のキャリアにおける真の転機が訪れたのは、10年あるいは12年が経ったときだった。1911年、リトルウッドと長きにわたる共同研究を始めたときと、1913年、ラマヌジャンを発見したときである。それ以後の私の価値ある仕事はすべて、彼らとともに行ったものである。彼らとの共同作業を始めたことが、私の人生における決定的な出来事だったのは明らかだ。今でも私は、絶望的な気分になったときや、尊大で退屈な人々の話を聞かねばならないときに、こんなふうに独り言を言う。「だが、私はには無理だったことを一つやったよ。それはリトルウッドやラマヌジャンと対等に共同研究をしたってことさ。」彼らのおかげで私は相当な年齢まで成長を続けられた。私がピークにあったのは40歳を少し過ぎた頃で、オクスフォードの教授をしていたときだ。それからはずっと、止まることのない劣化という、老いた人、特に老いた数学者たちの共通の運命に苦しめられてきた。数学者が60歳になっても有能であることは可能ではあろうが、彼に独創的な発想を期待するのは無駄である。

もはや私の人生が終わったのは明らかだ——人生の価値ある部分については。私には、その価値を目に見えるほど増したり減じたりするようなことは、もはや何もできない。冷静でいることは非常に難しいが、私は自分の人生を「成功」であったとみなしている。私は、同じくらいの能力を持った人間にふさわしい程度よりも報われてきた。私は居心地のよい「威厳のある」地位を多数経験した。大学の退屈な雑務にはほとんど煩わされなかった。私は「教育」が大嫌いだが、ごくわずかしかそれをする必要には迫られず、かつそれらは、ほとんどすべて研究指導であった。私は講義は好きだ。そして非常に優秀なクラスでたくさんの講義をしてきた。また私には、研究に費やすことのできるたくさんの自由な時間があった。研究は私の人生において、涸れることのない大きな幸福であった。他の人々と仕事をともにすることに特に困難はなかったし、2人の並外れた数学者と大規模な共同作業を行うこともでき、それによって、私が相応に望み得たよりもずっと多くのことを、数学という学問に付け加えることができた。他の数学者と同じく、残念なこともあったけれども、とりたてて重大なものはなく、特別に不幸な思いをすることもなかった。仮に20歳だった頃に、これよりよくも悪くもない人生を提示されていたならば、私は躊躇せずに受け入れただろう。

「もっとよい人生を送れた」と考えるのは馬鹿げたことだと思う。私には言語や芸術の面の才能はないし、実験科学にはほとんど興味を持っていない。哲学者としてはなんとかやっていけたかもしれないが、特に独創性は持ち得なかっただろう。法律家としてはうまくやれたかもしれない。しかし、学究以外で本当に自分の可能性に確信を持てた職業はジャーナリズムだけである。疑いようもなく、私が数学者となったのは正しかったのだ——その判断基準が、一般に成功と呼ばれるものであるならば。

したがって私の選択は正しかったのだ——私の望みが、ほどほどに不自由のない幸せな生活だったのだとすれば。だが、事務弁護士ソリシター、株式仲買人、あるいは賭博主催者ブックメーカーも多くは不自由のない幸せな生活を送る。彼らの存在がいかに世界を豊かなものにしたかを見るのは極めて難しい。私は何らかの理由によって、自分の人生が彼らのものよりも、いくらか無意味ではなかったと主張できるだろうか。私には、その答えの候補が、再び、ただ一つだけあるように思われる。イエスだ、おそらく、しかし、仮にイエスならば、たった一つの理由によってである。

私は〈有用〉なことは何もしなかった。私の発見はどれも、世界の快適さにはまったく寄与しなかった。過去もおそらく将来も、直接的にも間接的にも、よい面でも悪い面でも。他の数学者を育てる手助けはしてきた。だがそれは、私自身と同種の数学者をである。彼らの仕事は、少なくとも私が手助けした範囲においては、私の仕事と同じくらい〈有用〉でなかった。あらゆる実際的な基準で判断するならば、私の数学者としての人生は無価値である。数学以外についてはいずれにせよ取るに足りない。完全に取るに足りないという評決から逃れ得る可能性は、私には一つだけある。それは私が、創造する価値のあるものを創造してきたと判断されるかもしれないということだ。私が何物かを創造してきたことは否定の余地がない。問題はその価値である。

そういうわけで、私の生涯、あるいは私と同じ意味において数学者であった者の生涯に関する弁明は、次のとおりである。私は知識の積み重ねに何物かを付け加え、また他の者がより多くを付け加えるのを助けた。そしてその何物かとは、程度の違いこそあれ、種類としては、偉大な数学者や、あるいは他の芸術家、偉大でもそうでなくてもよいが、彼らの創造したものと同じであった。彼らが去った後の世界に、何らかの足跡を残した者たちの。

覚え書き

ブロード教授とスノー博士はいずれも、科学のもたらした善と悪について公平であろうとするならば、戦争への影響に過度にとらわれてはならないと注意した。またそれについて考えるとしても、純破壊的な影響以外にも多くの重要な影響があることを心に留めねばならないとした。そこで(まず第二の点を取り上げると)、私は次のことを意識すべきである。(ア)全国民を戦争のために組織することは科学的方法によってのみ可能であること、(イ)プロパガンダという概して悪のために用いられるものの力を、科学は飛躍的に高めてきたこと、(ウ)科学は「中立であること」をほとんど不可能あるいは無意味なものにし、したがってもはや、戦争の後にそこから正気と復興が湧いてくるような「平和の島々」というべき場所はないということ。もちろんこれらは、すべて科学への反対論を支持する側にある。その一方で、この論を極限にまで推し進めたとしても、科学によってなされた善が全体として悪を上回らないと真剣に主張するのは難しい。例えば、戦争のたびに一千万の命が失われるとしても、科学のもたらす効果は全体として、なお平均寿命を延ばしてきたといえよう。端的にいって、28節は「センチメンタル」すぎた。

私はこれらの批評の正当性について争わないが、緒言で述べた理由によって、本文でそれに応えることはできなかった。したがって以上のように述べるにとどめたい。

スノー博士はまた、8節について興味深い細かな指摘をした。「アイスキュロスが忘れられようともアルキメデスは記憶に留まり続けるだろう」というのを認めたとして、数学的な栄誉は、完全な満足のためには少々「匿名的」すぎるのではないかと。アイスキュロスの作品からは、その人となりについて、だいぶはっきりした描像が得られる(もちろん、シェイクスピアやトルストイについてはもっと正確にわかる)。だが、アルキメデスやユードクソスは単なる名前として残るにとどまるだろう。

J. M. ロマス氏はこの点を、ともにトラファルガー広場のネルソン記念碑の前を通りがかったとき、より鮮やかに描き出してみせた。ロンドンに記念碑が建てられ、その上に自分の像が載せられるなら、記念碑は像が見えなくなるほど高いほうがいいか、像の細部が見えるように低いほうがいいか。私は第一の選択肢を選ぶ。スノー博士は、おそらく第二の選択肢を選ぶだろう。

訳注

本書の著者、ゴドフリー・ハロルド・ハーディ(Godfrey Harold Hardy, 1877–1947)は、20世紀前半のイギリスを代表する数学者である。盟友J. E. リトルウッド(1885–1977)、インドの天才S. ラマヌジャン(1887–1920)とともに、主に解析学や解析的整数論に関する研究を行った。また、1908年の著作『純粋数学教程』(A Course of Pure Mathematics)は、イギリス数学界に、それまで軽視されがちだったドイツやフランスで発展していた厳密な論理に基づく解析学を根付かせる役割を果たした。

ハーディはケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学んだ。その後、1900年に同カレッジのフェローに選出され、さらに1906年に講師となった。1920年にはオクスフォード大学の教授職(Savilian Professor of Geometry)に就いたが、1931年に再びケンブリッジ大学に戻る。そして1942年まで教授(Sadleirian Professor of Pure Mathematics)を務めた。

本書が出版されたのは1940年で、ハーディが63歳のときのことである。

後の1967年にC. P. スノーによる序文が追加されたのだが(この翻訳には含めていない)、その冒頭には、1931年、オクスフォードからケンブリッジへと帰ってきたハーディについて、若い数学者たちが「彼は型破りで、風変わりで、急進的で、どんな話題もお手のものなのだ」と話していたことが書かれている。そのように評されたハーディの語りの鋭い切れ味は、本書でも輝きを放っている。一方で、この本を読んだ人はきっと、その全編が悲痛なトーンに貫かれていることも感じるだろう。

「ある数学者の弁明」(A Mathematician's Apology)という本書のタイトルからは、プラトンの『ソクラテスの弁明』が想起される。ソクラテスのそれと同様に、ハーディの「弁明」(apology)も謝罪ではないことに注意しよう。アテネの法廷で死刑を求刑され、弁論を行うソクラテスのように、63歳のハーディも、ただ、自らの考え方や行動の正当性を説明しているのである。そして、訳者には、ソクラテスと同じように、ハーディも死を目前に強く意識しながら、その弁明を行っているように感じられる。

本書の本文は29個の節からなり、それらに加えて「緒言」(Preface)、「覚え書き」(Note)がある。本文2節において全編を貫く「数学に懸ける人生が正当化されるほどの数学の価値とは何なのか」という問いが提示され、それに答えを与えるべく、ハーディは6節から彼の数学観と人生観を述べ始める。

訳者の私見では11節から17節にわたる数学の〈真剣さ〉、特に17節における〈深さ〉についての記述が白眉だが、読者は他にもたくさんの魅力的な記述を見出すことと思う。

ハーディの過ごしてきた20世紀前半のイギリス社会や、そこに暮らす学者たちの様子が垣間見えるのも、本書を読んでいて面白い点である。特に、トリニティ・カレッジの人々が、そうとは触れられずに多数登場している。

本書を味わうためには、「カレッジ」(college)について知っておいたほうがいいだろう。これはケンブリッジ大学やオクスフォード大学などに存在する独特の組織で、日本語では「学寮」とも訳される。各カレッジは「大学」(university)から独立していて、それぞれに資産や安定収入を持っている。学生や教師は皆いずれかのカレッジに所属し、当時はほとんど全員が寝食を共にした。教育の面でも、その主体となったのは、実は大学によって行われる講義ではなく、各カレッジにおける、コーチと呼ばれる教師による個人指導だった。

ケンブリッジ大学最古のカレッジは、1284年創立のピーターハウスである。トリニティ・カレッジは1546年につくられた。 ハーディの頃には、トリニティには学生を含めて1,000人近くがいたようだR. Kanigel, The Man Who Knew Infinity: A Life of the Genius Ramanujan, Charles Scribner's Sons, 1991(邦訳『無限の天才——夭逝の数学者・ラマヌジャン』。田中靖夫による訳)による。この本に関しては、以下で細かく引用する際には、入手しやすいWashington Square Pressのペーパーバック版におけるページ数に節番号を添えて示す。トリニティ・カレッジの在籍者数についての記述は127ページ(4.4節)にある。

カレッジの運営への関与が認められた構成員が「フェロー」である。というよりも、「第一義的には、カレッジとはフェローの集まりのことだ」という説明のほうが適切かもしれない。フェローの地位は基本的には終身のものだが、若手に与えられる特別な有期資格もあった。フェローであることは講師(カレッジの役職)や教授(大学の役職)であることとも両立する。ハーディの場合、1900年に得たのは有期のフェロー資格で、1906年の講師就任と同時に、フェロー資格も終身のものに切り替えられている。

本書の出版の後、いくつかの書評が書かれた。それらのうち、L. J. モーデル(1888–1972)が1970年に『アメリカ数学月報』(The American Mathematical Monthly)に寄せた書評が相当に批判的なものであることをここで取りあげよう。ハーディの見解はときに過度に断定的で、例外や限界の存在に無頓着だというその主張には、一定の理がある。

モーデルは特に、本書冒頭にある、「数学者の役割とは、何かを成すこと、新しい定理を証明すること、数学という学問に何かを付け加えることであって、自分や他の数学者の成した仕事を語ることではない」という文に疑いの目を向ける。たしかにハーディのこの見解は、明らかに賛否が分かれる内容である。ハーディ自身、若い頃から論文以外にも、『純粋数学教程』を書いたり、多数の書評を執筆したりしたD. J. Albers, G. L. Alexanderson, W. Dunhum (eds.), The G. H. Hardy Reader, Cambridge University Press, 2015の125–135ページに多数の書評が収録されている。のである。上記の文は、それをも否定するものと考えるべきなのだろうか。

訳者の理解では、ハーディはこれが議論を巻き起こす見解であることは百も承知なのだ。おそらく彼自身の中でも対立する見解とのせめぎ合いがありながら、それでも、彼にとっての捨てがたい一つの真実を際立った形で描き出すために、あえてこういった書き方をしているのである。

ハーディの言葉に「It is never worth a first class man's time to express a majority opinion. By definition, there are plenty of others to do that.」(多数派に属する意見を表明することは一流の者が時間を費やすに値しない。定義によって、それをする人間は他にたくさんいるからだ)というものがある本書の原著1967年版のC. P. スノーによる序文、46ページ。。これは半ば冗談なのだろうが、しかしそういう発言をする人物だったと知っておくことは、本書を読むにあたっても助けになると思われる。

いずれにしても、本書の記述は無批判に受け入れられるべきものではない。本書は、気軽に、しかし一定の距離をとりながら読むべき本である。

以下では、本書の記述を抜き出しながら注釈を加えていく。またその中でハーディについてのさらなるエピソードにも触れよう。論旨について評することは、基本的にはしないことにする。読者には、まずはハーディ自身の記述を味わいながら、それぞれに考えてみていただきたい。

C. D. ブロード教授とC. P. スノー博士

C. D. ブロード(1887–1971)はイギリスの哲学者で、1911年よりトリニティ・カレッジのフェロー。C. P. スノー(1905–1980)はすでに触れたとおり、本書1967年版に収録された「序文」を書いた人物である。初め物理学を修め、1930年にケンブリッジ大学クライスツ・カレッジのフェローとなる。その後、政府の要職をいくつか務め、また文筆でも才能を発揮した。

ケンブリッジ・アルキメデス協会の会誌

アルキメデス協会(The Archimedian Society)とは、ケンブリッジ大学の学生による数学サークル。1935年に設立された。その会誌『ユーレカ』に、1940年にハーディは、本書28節の元となる「戦時における数学」(Mathematics in War-Time)という記事を寄稿した。

解説、注解、評価といったことは

原文における表現は「Exposition, criticism, appreciation」。これらのうち「criticism」をどう解釈すべきかは明らかではない。一見すると「批評」のようであるが、「literary criticism」、すなわち文芸作品の注解という高度に学問的な営みを指しているとも考えられる。訳文では後者の立場をとった。

ハウスマンと真剣に言葉を交わす機会は多くはなかったが

A. E. ハウスマン(1859–1936)はイギリスの古典学者、詩人。1911年からトリニティ・カレッジのフェローで、またラテン文学教授を務めた。『詩の名称と本質』(The Name and Nature of Poetry)を1933年に発表。

ホールで彼の隣になった際に

「ホール」とは、トリニティ・カレッジのダイニングホールのこと。ホールの前方には、フェローのための席として「ハイ・テーブル」が設けられていた。そこで会話が行われたのだろう。

アインシュタインの収めた劇的な成功

A. アインシュタイン(1879–1955)は、言わずと知れたドイツ出身のユダヤ人物理学者。アインシュタインにはさまざまな業績があるが、特に1915年から1916年にかけて発表された一般相対性理論は、B. リーマンが1854年に提案した抽象的な幾何学の理論である、リーマン幾何学の勝利でもあった。

一般相対性理論が予言する重力レンズ効果は、1919年にイギリスの天文学者でトリニティ・カレッジのフェローでもあるA. エディントン(1882–1944)が行った皆既日食の観測によって裏付けられた。

『現象と実在』の序文でブラッドリーは形而上学を見事に弁護したが

F. H. ブラッドリー(1846–1924)はイギリスの哲学者。『現象と実在』(Appearance and Reality)は1893年の著作。

橋梁、蒸気機関、発電機といった実際の応用例は

全長60メートルの世界初の鉄橋、その名もアイアンブリッジ(The Iron Bridge)が、1779年にイングランド中西部のシュロップシャーでセヴァーン川に架けられた。シュロップシャーは鉄鋼産業の中心地で、アイアンブリッジは産業革命の象徴となった。

J. ワットの蒸気機関は、もちろん産業革命の中心的な原動力である。1776年から炭鉱での排水に用いられ、その後紡績に利用されたり、蒸気船、蒸気機関車の動力源となった。

「発電機」は原文では「dynamos」で、正確には自励式発電機(自身の作った電力を用いる電磁石による発電機)と解すべきだと思われる。1867年にW. v. ジーメンスとC. ホイートストンが独立に発表した。これにより大規模な発電が可能となった。

ところで、これらは数学というよりも物理学の応用なのではないかという印象もある。もちろん物理学の発展において数学は不可欠なものであるとはいえ、橋梁、蒸気機関、発電機というのは少々数学から遠すぎるのではないか。

この記述の背景には、イギリスでは伝統的に、「数学」(mathematics)の語がかなり広範囲の対象を指すことがあるのかもしれない。本書の後の部分でも、23節および25節では物理学がほとんど数学の一部であるかのように扱われている。ただ、26節冒頭の記述「応用数学においては、基礎的な力学も有用だ(電気学は、大学以前の学校で教えられる範囲では、物理学に類別されるべきである)」をみると、そこには微妙な区別があるようだ。

私が弁護士、株式仲買人、あるいはプロのクリケット選手をしているのは、その仕事に関しては、いくらか本物の才能を持っているからである

ハーディはクリケットに子供の頃から熱心だった。ケンブリッジでも、シーズン中、彼は昼食後に大学のグラウンドで観戦するのを日課としており、自身でも60歳を過ぎるまでプレーしたし、歴史上の記録もよく記憶していた。誰かの能力を評価する際に、しばしばクリケットの名選手の名を用いて「ブラッドマン級」「ホッブズ級」などと評したことも伝えられている。

しかし1939年、心臓発作に見舞われて以来、ハーディはそれまでのようにクリケットや他のスポーツを自ら楽しむことができなくなってしまった。

ジョンソン博士もこの考えを支持している

S. ジョンソン(1709–1784)はイギリスの文学者。親しみを込めて「ジョンソン博士」(Dr Johnson)と呼ばれた。ジョンソンが編纂し1755年に出版された『英語辞典』(A Dictionary of the English Language)は、1928年に『オクスフォード英語辞典』(Oxford English Dictionary)が完成するまで、最も権威ある英語辞典だった。

この『英語辞典』はユーモアないし偏見を含む語釈でも知られた。例を挙げると、たとえば「excise」(物品税)は「日用品に課される憎むべき税金で、公共のために商品について適切な判断のできる人ではなく、この税金を懐に収める者たちに雇われた悪党によって決定される」であり、「oats」(オート麦)は「穀物の一種。イングランドでは一般的に馬の餌になるが、スコットランドでは人の食料になる」とされている。

直後の引用は、1791年に出版されたJ. ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』(The Life of Samuel Johnson)からのものである。

彼はおそらく、登山家や、海峡横断泳の成功者や、目隠しチェスのプレイヤーのことも同じように称賛しただろう

1865年にイギリス人の一行がマッターホルン登頂に初めて成功した。1920年代にはイギリスの遠征隊がエヴェレスト挑戦を繰り返し、標高8,225メートルにまで達していたが、山頂(8,848メートル)への到達は1953年(やはりイギリス隊による)を待たなければならなかった。

「海峡」とはドーヴァー海峡のことだろう。英仏両国を隔てるこの海峡を独力で泳いで横断することに初めて成功したのは、1875年のM. ウェッブとされる。

目隠しチェスとは、盤面を見ずに記憶を頼りにして行うチェスである。欧米では、目隠しをした一人のプレイヤーが、他の複数の強豪プレイヤーを同時に相手にする挑戦が話題となった。詳しい記録の残る最古のものは1782年のF.-A. D. フィリドールによる2面指しである。1900年にはH. N. ピルズベリーが20面指しを行っている。1920年代からは本文ですぐ後に登場するA. アレヒン(1892–1946)らがさらなる記録を競った。

アレヒンやブラッドマンの新記録挑戦が失敗に終わったならば

アレヒンについては前項で触れた。D. ブラッドマン(1908–2001)はオーストラリアのクリケット選手で、史上最も偉大なバッツマン(打者)とされる。ハーディは、ブラッドマンによる連続得点記録のことを言っているのではないかと思われる。

ニュートンの最も偉大な創意、すなわち流率と引力法則の概念

「流率」とは微分係数のことである。微積分法は、I. ニュートン(1642–1727)とG. W. ライプニッツ(1646–1716)によって同時期に発明された。

ガロワは21歳で、アーベルは27歳で、ラマヌジャンは33歳で、リーマンは40歳で死んだ

それぞれ、É. ガロワ(1811–1832)、N. H. アーベル(1802–1829)、S. ラマヌジャン(1887–1920)、B. リーマン(1826–1866)。いずれも高名な数学者だが、特にラマヌジャンは、ハーディにとって重要人物である。

インドに生まれ、半ば独学で数学を学んだラマヌジャンは、研究成果を記した手紙をイギリスの数人の教授に宛てて送った。手紙を受け取った者のうち、ハーディだけがその内容の重要性に気づいてラマヌジャンをケンブリッジ大学に招聘する。

ハーディが手紙を受け取った日についてはこんなエピソードがある以下では、スノーによる序文の30–33ページ、およびKanigel, The Man Who Knew InfinityのWashington Square Press版161–169ページ(5.1節)を参考にした。。それは1913年1月末のある日だった。ハーディは朝食の前にラマヌジャンの手紙を手にしたのだが、著名な数学者というのは怪しげな手紙に慣れっこなものである。C. P. スノーの表現によれば「ギザの大ピラミッドに遺された預言者の知恵だとか、シオン賢者に関する新事実だとか、シェイクスピア作といわれる戯曲にベーコンが紛れ込ませた暗号だとかを明らかにしたという」手紙が送られてくるのだ。彼は初めその手紙を一瞥しただけだった。そして『タイムズ』を読みながら朝食をとり、いつも通り9時から13時まで研究に取り組み(彼によれば、一日4時間がおおむね数学者にとって創造的仕事のできる限界だった)、昼食を済ませる。それから、ハーディはしばらくリアル・テニス(現在盛んなローン・テニスの元になったスポーツ)をしに出かける。

だがその普段の日課の間、ラマヌジャンの手紙のことがハーディの頭の片隅から離れないのだった。書かれていた定理には既知のものもあったが、ハーディが見たことも想像したこともない種類の定理もあった。そして証明は記されていないのだった(ラマヌジャンは定理の証明という概念を理解していなかったとされる)。何かの本に載っている定理を、そうとわからないように書き換えたのかもしれない。しかし……

部屋に戻った後、悩んだハーディは、J. E. リトルウッドに晩餐の後で議論をしたいという旨を伝えた。21時前後に、二人はおそらくリトルウッドの部屋でラマヌジャンの手紙の検討を始める。そして真夜中より前には、手紙の主が本物の天才であることを認識したものとみられる。

後にハーディが書いているように、「They must be true because, if they were not true, no one would have had the imagination to invent them.」(それら[の定理]は正しいに違いない。なぜなら、仮に誤りだとして、こんな定理をでっちあげるほど想像力豊かな者がいるはずもないからだ)G. H. Hardy, The Indian mathematician Ramanujan, The American Mathematical Monthly 44 (1937), 137–155の144ページ。この記事は後にG. H. Hardy, Ramanujan: Twelve Lectures on Subjects Suggested by His Life and Work, Cambridge University Press, 1940(邦訳『ラマヌジャン——その生涯と業績に想起された主題による十二の講義』。髙瀬幸一による訳)にも第1章として収録された。Albers, Alexanderson, Dunham, The G. H. Hardy Readerにも収録されている。というのが彼らの結論だったのだろう。

ラマヌジャンはハーディの招聘を、初め、カーストの規律に基づき断った。しかしハーディの再三の要請、また周囲の勧めもあって、1914年に渡英する。系統的な専門教育を受けていないラマヌジャンではあったが、ハーディとリトルウッドの助力の下で、天才的な直観によって多くの定理を生み出す。だが、ラマヌジャンは1917年に病に伏す。第一次世界大戦終戦後の1919年にインドに戻ったものの、その翌年に死去した。

有名な「タクシー数」1729についての逸話は、ロンドンの南西にあるパトニーで療養するラマヌジャンをハーディが見舞いに行った際のものだ。これはあまりにも美しい瞬間である。紹介は、ハーディ自身の文章によったほうがいいだろう以下はHardy, The Indian mathematician Ramanujanの147ページ。

He could remember the idiosyncrasies of numbers in an almost uncanny way. It was Littlewood who said that every positive integer was one of Ramanujan's personal friends. I remember once going to see him when he was ill at Putney. I had ridden in taxi-cab No. 1729 and remarked that the number seemed to me rather a dull one, and that I hoped it was not an unfavorable omen. “No,” he replied, “it is a very interesting number; it is the smallest number expressible as the sum of two cubes in two different ways.” I asked him, naturally, whether he could tell me the solution of the corresponding problem for fourth powers; and he replied, after a moment's thought, that he knew no obvious example, and supposed that the first such number must be very large.

パンルヴェはフランスの首相として、あまり成功しなかった。ラプラスの政治的な経歴はきわめて不名誉なものだったが、これは妥当な例とはいえないだろう

P. パンルヴェ(1863–1933)は、現在「パンルヴェ方程式」と呼ばれる6種類の方程式のうち初めの3種類を発見したことで知られる。第一次世界大戦中の1917年に2か月間、また1925年に7か月間フランスの首相を務めた。

P.-S. ラプラス(1749–1827)には、太陽系の安定性の研究、回転楕円体の及ぼす重力の研究とそれに関係する解析学の展開、確率論への貢献といった業績がある。ナポレオン政権下で1799年に6週間だけ内務大臣を務めた。

他の科学、たとえば化学や生理学などのように

化学では、ハーディと同時代に起こった大きな出来事として、1908年から1913年頃にかけて、現在ハーバー=ボッシュ法と呼ばれるアンモニア合成法が発明されたことがある。そうして窒素肥料や火薬原料の合成が可能になった。

生理学においては、7節でフランスの生化学者L. パスツール(1822–1895)やイギリスの外科医J. リスター(1827–1912)への言及があるが、彼らが大きな貢献をした。パスツールは生命の「自然発生説」を否定し、ライバルのR. コッホ(1843–1910)とともに細菌学を確立した。またその研究に基づいてリスターは、外科手術における術後感染を防ぐ無菌手術法を考案した。

アッティラやナポレオンの野心にさえ、何かしらの気高さがあったのだ

アッティラは5世紀前半のフン族の王。中央アジアからヨーロッパに進出し、現在のドイツにまで達する大きな帝国を築き上げる。キリスト教世界の人々には「神の鞭」(Flagelum Dei)と恐れられた。

ナポレオン・ボナパルト(1769–1821)はフランス軍の将校としてフランス革命後のヨーロッパ諸国との戦争で活躍し、1799年のクーデタで政権を握った。対フランス同盟の中心はイギリスである。1805年にナポレオンはイギリス上陸を目指すが、H. ネルソンの率いるイギリス海軍にトラファルガーの海戦で敗れる。1812年のロシア遠征の失敗をきっかけにナポレオンは失脚する。1815年に一度は権力の座に復帰するが、同年イギリスを中心とした連合軍およびプロイセン軍にワーテルローの戦いで敗北、イギリスに投降し、セントヘレナ島に流された。

Here, on the level sand, ...

1936年に出版されたA. E. ハウスマンの第3詩集『拾遺詩集』(More Poems) 45番目の詩の一部。

リスターやパスツールには野心はなかったか/キング・ジレットやウィリアム・ウィレットはどうだったか

リスターとパスツールの業績については前述のとおり。ハーディが彼らに野心がみられるとした理由は、訳者にはわからない。

K. ジレット(1855–1932)はアメリカの実業家。安全剃刀を発明。W. ウィレット(1856–1915)はイギリスの建築業者。サマー・タイムを提唱した。

ギリシャ人たちは、現代のわれわれの立場からも「本物」と言えるような初めての数学者だった

古代ギリシャで発展した数学は、「論証に基づく」という点で、それ以前のものと一線を画した。紀元前3世紀頃にエウクレイデス(訳文では英語読みの「ユークリッド」を採用している)が編纂した『原論』(Στοιχείαストイケイア、英語ではElements)はそれを象徴する存在である。全13巻からなるこの書物は、ヨーロッパでは長く教科書として利用され、特にイギリスの中等学校では20世紀に入るまで使われていたという。J. E. リトルウッドも、17歳でケンブリッジ大学入学に伴う奨学金試験を受けるまでの間に読んだ本のうちに、『原論』の初めの6巻を含めているB. Bollobás (ed.), Littlewood's Miscellany, Cambridge University Press, 1986の80ページ。

オグやアナニアやガリオになりたいという者はまずいないだろう

オグは旧約聖書に出てくるバシャンの町の王。アナニアは新約聖書に現れる人名で、該当する人物は複数いるが、ここでは『使徒言行録』に出てくるサッピラの夫だろうか。ガリオは、同じく『使徒言行録』に登場する、古代ローマの属州アカエア(アカヤ)の総督。

ノルウェーの5人の名士はアーベルの伝記に名を残しているが

「ノルウェーの5人の名士」が具体的に誰なのかは不明である。「アーベルの伝記」がどの本を指すのかも定かでないが、C. A. ビヤークネス(1825–1903)による伝記(1880年出版)だろうか。

教授が2,000ポンドの年収を得ることは非常に困難である

イギリス国家統計局の発表する「Composite Price Index」に基づく計算によれば、1940年当時の2,000ポンドは、現在の約110,000ポンドにあたる。

サイモン卿やビーヴァーブルック卿になれる可能性を

サイモン卿、ビーヴァーブルック卿とはそれぞれJ. A. サイモン(1873–1954)、W. M. エイトケン(1879–1964)のことで、いずれもイギリスの政治家。2人とも政府の要職を務め、エイトケンは1917年に男爵位を、サイモンは1940年5月に子爵位を与えられた。

私はバートランド・ラッセルの語った恐ろしい夢のことを思い出す

B. ラッセル(1872–1970)はイギリスの数学者、論理学者、哲学者。1895年から1901年までトリニティ・カレッジのフェロー、1910年から1916年まで同カレッジ講師、1944年から死去まで再び同カレッジフェロー。数学の形式論理学への還元に尽力し、A. N. ホワイトヘッドとともに、全3巻からなる『プリンキピア・マテマティカ』(Principia Mathematica)を1910年から1913年にかけて著した。1950年にノーベル文学賞受賞。

ところでラッセルは、第一次世界大戦中に反戦運動を展開し、それが原因となって1916年に講師職を解任された。ハーディも反戦運動に関わっていて、ラッセルにも好意的だったことが、『ある数学者の弁明』の2年後に書かれた『バートランド・ラッセルとトリニティ』(Bertrand Russell & Trinity: A College Controversy of the Last War)で語られている。

1919年になって、ハーディを含む33人のフェローによりラッセルの復職の求めがカレッジの評議会に対してなされ、それが認められて翌年よりラッセルは再び講師職に就くことが決まる。しかし、実際には講義は一度も行われることなく、1921年初めにラッセルは任意辞職した。

ハーディがこの時期に感じていた居心地の悪さが、オクスフォード大学への移籍の背景としてあったようだ。第一次世界大戦にまつわるハーディの苦い思い出は、『ある数学者の弁明』を読み解く上でも、軽視できないものであろう。

ついでに触れるならば、ラマヌジャンがトリニティ・カレッジにいた時期もまさに第一次世界大戦に重なっていることは興味深い。

彼は大学図書館の最上階にいた

トリニティ・カレッジにも図書館はあるが、この「大学図書館」とは、カレッジのではなく大学(university)の図書館。ケンブリッジ大学の図書館は、日本の国立国会図書館のように、イギリスで発行されたすべての出版物を収蔵する役割を持つ図書館の一つである。だから、ここに収蔵された『プリンキピア・マテマティカ』が世界中で最後に残った一部だというのも、ありそうな話だということになる。

数学者の様式が〈観念アイディア〉でできているからである

ルビの示すとおり、「観念」は原文では「idea」である。ここでプラトンのイデア論を想起することは、本書のタイトルが『ある数学者の弁明』であることからいっても、自然なことだろう。

Not all the water in the rough rude sea ...

W. シェイクスピア『リチャード二世』第3幕第2場。翻訳は、福田恆存訳を新字体・現代仮名遣いに変更して引用した(『福田恆存飜譯全集 第五卷』文藝春秋、1992年)。

ホワイトヘッドが「文学的迷信」と呼んだその誤解とは

A. N. ホワイトヘッド(1861–1947)はイギリスの数学者、哲学者。1884年からトリニティ・カレッジのフェロー。1924年からはアメリカで活動した。B. ラッセルとともに『プリンキピア・マテマティカ』を著したほか、1929年の『過程と実在』(Process and Reality)でも知られる。

ホグベン教授は数学のうちにある美的要素の重要性を矮小化しようと熱心だが

L. ホグベン(1895–1975)はイギリスの動物学者。1936年の『百万人の数学』(Mathematics for the Million)、1938年の『市民の科学』(Science for the Citizen)がベストセラーになった。

すべての文明国には、多くのチェス・プレイヤーがいる——ロシアでは教育を受けた国民のほとんどすべてがそうである

1917年にロシア革命が起こり、社会主義政権が樹立された。第一次世界大戦のさなかである。イギリスやフランスは、社会主義の広まり、およびソヴィエト・ロシア政権によるドイツとの単独講和がもたらす西部戦線の戦闘の激化を恐れ、アメリカや日本とともに干渉戦争を行った。日本軍が1922年までシベリアにいたのを除けば、この干渉は1920年までには終わっている。

「すべての文明国には、多くのチェス・プレイヤーがいる」という記述が「チェス・プレイヤーの多さは国の文明度の指標である」ということを含意しているとすれば、ハーディはロシアが超一流の文明国だとここで主張していることになって面白い。もちろん、これは論理的には大きな飛躍のある解釈である。

ハーディが社会主義に好感を持っていたことは明らかである。V. レーニン(1870–1924)のことを非常に高く評価しており、トリニティ・カレッジのハーディの部屋の飾り棚には、アインシュタイン、クリケット選手のホッブズ、そしてレーニンの写真が飾られていたという。またある年にハーディの立てた新年の誓いは次のようなものだったKanigel, The Man Who Knew InfinityのWashington Square Press版366–367ページ(エピローグ)。

  1. リーマン予想を証明する。
  2. オーヴァル[ロンドンのクリケットスタジアム]で行われるテストマッチ最終戦で、最終イニングに連続211得点する。
  3. 一般大衆を納得させるような神の非存在証明を見つける。
  4. エヴェレストの初登頂者になる。
  5. グレート・ブリテン及びドイツソヴィエト社会主義共和国連邦の首相に任命される。
  6. ムッソリーニを殺害する。

チェス・プロブレムの美しさを認識し、味わうことができる

「チェス・プロブレム」とは、チェスのルールに基づくパズル。「詰将棋」に倣って「詰チェス」と訳してもよいかもしれない。

デュドニーあるいは「キャリバン」のような腕利きのパズル作家

H. E. デュドニー(1857–1930)は数学的パズルの大家として知られている。1907年の『カンタベリー・パズル』(The Canterbury Puzzles)や1917年の『数学遊戯』(Amusements in Mathematics)といった著書が有名。

キャリバン(Caliban)はW. シェイクスピア『テンペスト』に出てくる怪物だが、これはH. フィリップス(1891–1964)が雑誌に数学的パズルを寄稿した際のペンネーム。フィリップスはまた、経済学者、新聞記者、テレビやラジオのキャスターとしても活躍した。

ハーバート・スペンサーは自伝の中で

H. スペンサー(1820–1903)はイギリスの社会学者、哲学者。社会進化論を提唱したことで知られる。

ソディ教授は、もっと最近の、もっと著しい例である

F. ソディ(1877–1956)はイギリスの化学者。放射性元素の原子核崩壊を研究し、同位体元素の概念を提出した。1921年にノーベル化学賞を受賞。

シェイクスピアは英語の発展に巨大な影響をもたらした。オトウェイの影響は無きに等しい

W. シェイクスピア(1564–1616)、T. オトウェイ(1652–1685)は、いずれもイギリスの劇作家。シェイクスピアは広く知られているとおり、イギリス文学史上もっとも重要な作家の一人とされている。オトウェイも19世紀半ばまでは人気があり、1682年の代表作『救われたヴェニス、または暴かれた陰謀』(Venice Preserv'd, or A Plot Discover'd)を初めとして、その作品の再演が頻繁に行われていた。

After life's fitful fever he sleeps well

W. シェイクスピア『マクベス』第3幕第2場。訳文は、10節と同じく、福田恆存訳を新字体・現代仮名遣いに変更して引用した(『福田恆存飜譯全集 第六卷』文藝春秋、1992年)。

数論における最も美しい定理の多くが

「数論」(the theory of numbers)というのは「整数論」のこと。この言葉遣いは現在でも一般的なものである。

比較的説明しやすいが論理学や数理哲学の領域にはみ出るような多くの定理が除外される

どのような定理が具体的に想定されているのか不明である。

つまり$666=2\cdot 3\cdot 3\cdot 37$といったことだ

ここでハーディが選んだ666は「獣の数」ないし「悪魔の数」として知られているが、深読みするなら、これはハーディが無神論者であったことと関係する冗談なのかもしれない。

ハーディは神を「個人的な敵」と見なした。有名な逸話にこんなものがある。ハーディは大学のグラウンドへとクリケット観戦に行くとき、数枚のセーター、傘、そして査読すべき論文や試験の答案などの入った封筒を抱えて出かけたという。ハーディの考えは「雨が降ることを予期して仕事に戻る準備をしているハーディを見て、神はずっと空を晴れたままにし続けるだろう」というものだったスノーによる序文、44–45ページ。

背理法を用いないように証明を修正することもできる。ある学派の論理学者は、それを好むだろう

「ある学派」とは、直観主義論理を主張したL. E. J. ブラウワー(1881–1966)やA. ハイティング(1898–1980)などの人々。

チェス・プレイヤーはポーンを、あるいはもっと強い駒さえをも

ポーンは将棋でいう歩兵にあたる駒。

これは純粋に算術の定理であって

「算術」は「arithmetic」の訳語。ここではだいたい初等的な整数論のことと考えて差し支えないものと思われる。

「集合の理論」(Mengenlehre)にも、連続体の「非可付番性」に関するカントールの定理のような美しい定理がある

G. カントール(1845–1918)の創始した集合論は数学界に衝撃を与えた。1874年の論文でカントールは新しい手法に基づき超越的実数(代数的実数でない実数)の存在を証明する。その手法とは、大まかに言えば、「代数的実数はそのすべてを一列に並べて番号を付けることが可能である一方、実数はそれが不可能なほどたくさんあるので、超越的実数が存在しないとすれば矛盾が生じる」というものである。「代数的実数全体の集合」と「実数全体の集合」の大きさを比較するというこの考えは個々の数の性質を全く無視した新しいもので、L. クロネッカー(1823–1891)の激しい攻撃を受けた。しかし現在では、これは数学の学生ならば誰もが初年級で学ぶ、基本的な理論になっている。

なお、「enumerable」を「可付番」と訳したが、現在では「可算」という語のほうが多く使われる。英語でも「countable」を使うほうが現在では一般的だろう。

テオドロスが実行したとみられるように

プラトンの『テアイテトス』に、テアイテトスの師であるテオドロスが、テアイテトスとその友人のために$\sqrt{2}$, $\sqrt{3}$, $\sqrt{5}$, $\dotsc$, $\sqrt{17}$が無理数であることを導出し(あるいはそれらすべてではないかもしれない)、そこでやめたという記述がある。

ユードクソスの理論はその精神において驚くほど現代的なものだ

ユードクソスの比例論は、実質的に、R. デデキント(1831–1916)の「切断」による実数論(1872年)と等価であるとされる。

天文学と原子物理学……の持つ実際的な重要性は現在のところ、最も抽象的な純粋数学と比べて、ほんのわずかに大きいにすぎない

ハーディがこう述べている一方で、原子物理学の重大な応用である原子爆弾の理論的な可能性は、すでにL. シラード(1898–1964)により1933年の終わり頃に考え出されていた。

オーストリア=ハンガリー帝国に生まれたユダヤ人であるシラードは、1933年3月にドイツを離れ、発明当時はロンドンを拠点として亡命学者を援助する活動を行っていた。だが、1936年にはイギリス海軍に特許を譲渡し、そして1938年にアメリカに移住した。

1939年、シラードの依頼によりアインシュタインがルーズベルト大統領に宛てて送った手紙は、アメリカの原子爆弾開発のきっかけの一つとなったことで知られている。その後、1945年7月にシラードは原子爆弾の使用にあたり熟慮を求める請願書を起草し、これは70人の科学者によって署名されたが、トルーマン大統領に届くことはなかった。

1,000,000,000より小さい素数は50,847,478個ある

これはE. マイセルが1885年に求めた値だが誤っている。1959年、D. レーマーが正しくは50,847,534個であることを明らかにした。

ラウズ・ボールの『数学的娯楽』

W. W. R. ボール(1850–1925)は1875年からトリニティ・カレッジのフェローを務め、J. E. リトルウッドの個人指導も担当した。『数学的娯楽とエッセイ』(Mathematical Recreations and Essays)の初版は1892年。

『科学と現代世界』

原題「Science and the Modern World」。1925年出版。

ホワイトヘッドの言葉には過剰な一単語があったといえる

これは原文で読んだほうが意味がとりやすい。ホワイトヘッドの記述「数学の確かさは、その完全な抽象的一般性に依拠している」は、「The certainty of mathematics depends on its complete abstract generality.」である。ハーディは「abstract」が余計だと言っているのだ。

「あらゆるものはそれ自身であって、他のものではない」

原文は「Everything is what it is, and not another thing」。J. バトラー『ロルズ教会における十五の説教』(Fifteen Sermons Preached at the Rolls Chapel)にある文句。G. E. ムーア(1873–1958)が1903年に『プリンキピア・エチカ』(Principia Ethica)で引用したことにより、よく知られるようになった。ムーアは1898年からトリニティ・カレッジのフェロー。

生理学においてさえ数学は応用されつつある

この記述は何を指しているのだろうか。一つの候補として、1903年にW. アイントホーフェンが発明した心電計が考えられる。L. アショフ、田原淳による貢献もあって、心電図は臨床現場において診断に役立てられるようになった。

1908年にハーディは遺伝学における「ハーディ=ワインベルクの法則」を提出しているが、これを「生理学」に含めるのは無理があるだろう。

1922年に大英協会の分科会Aで行った講演と

「大英協会」とは大英科学振興協会(British Association for the Advancement of Science)のことで、分科会Aが扱うのは「数学および物理科学」。1922年にハルで行われた年会でハーディはこの分科会の座長を務め、「数論」(The Theory of Numbers)というタイトルで講演をした。

私は「実在論的」な見方を採用し、「観念論的」な見方は採らない

「実在論的」「観念論的」は、原文ではそれぞれ「realistic」「idealistic」。「観念」(idea)の語は10節でも用いられているが、ここでの「観念論」は、R. デカルトらによる認識論を意識したものだろう。

あるとき大英協会の会議がリーズで開かれることになり

リーズはイギリス、ヨークシャー地方の都市。羊毛産業で栄えた。ハーディが言っているのは1927年の第95回年会のことだと考えられる。

クノッソスの遺跡発掘作業

クノッソスはギリシャのクレタ島にある遺跡。イギリスの考古学者A. エヴァンズ(1851–1941)によって1900年に発掘された。

数論や相対論を戦争に役立たせる方法は誰も見出していないし、これからも長い間、見出されるとは思われない

歴史を知るわれわれの立場からは、これを先見性のある見方と言うのは難しい。

第二次世界大戦中のドイツ軍の暗号機「エニグマ」に対する連合国の解読作業では、初等的な群論が力を発揮した。この作業に関わった人には、ポーランドのM. レイエフスキ(1905–1980)、イギリスのA. チューリング(1912–1954)などがいる。もっと最近では、RSA暗号(1977年)、楕円曲線暗号(1985年頃)などで数論が暗号理論において本格的に応用されている。

また、アメリカ海軍と空軍によって開発され、1980年代から運用が開始された全地球測位システム(GPS)では、人工衛星に搭載された時計を適切に動かすために、相対論的効果を考慮した設計が行われているという。

リトルウッドでさえ弾道学を見苦しくないものにはできなかったのだし

J. E. リトルウッドは第一次世界大戦の折に、イギリス砲兵隊で技術改良に携わった。

最も禁欲的で最も彼方にある

「最も彼方にある」は「most remote」の訳である。原文でも、いったい何から「彼方にある」あるいは「離れている」のかは曖昧にされている。

21節最後の部分にある表現を繰り返すのを避けたのだと考えれば、「人間の通常の生活」から離れているという意味になるが、そう単純かどうかは一考の余地がある。直後に引用されているB. ラッセルの言葉は1917年の『神秘主義と論理、その他のエッセイ』(Mysticism and Logic and Other Essays)からのものだが、該当箇所の文章は次のとおりで、ここにはやはり「remote」の語が用いられているのである。ハーディの表現は間違いなくこれを意識したもので、そのことを踏まえて想像を膨らませてみてもよいだろう。

Mathematics, rightly viewed, possesses not only truth, but supreme beauty—a beauty cold and austere, like that of sculpture, without appeal to any part of our weaker nature, without the gorgeous trappings of painting or music, yet sublimely pure, and capable of a stern perfection such as only the greatest art can show.(中略)Remote from human passions, remote even from the pitiful facts of nature, the generations have gradually created an ordered cosmos, where pure thought can dwell in its natural home, and where one, at least, of our nobler impulses can escape from the dreary exile of the actual world.

ところでハーディ自身は、第二次世界大戦の最中、数学へと「避難」していたとはいえない(もっとも彼によれば、老いた彼にとってそれは不可能なのだが)以下はAlbers, Alexanderson, Dunham, The G. H. Hardy Readerの157–158ページおよび27–29ページに基づく。。ハーディは、ドイツから逃れるユダヤ系数学者がイギリスに留まれるよう尽力し、11人の職を確保した。ドイツの数学者L. ビーベルバッハ(1886–1982)の人種差別的主張を非難する論考を『ネイチャー』に寄せた。また、ユダヤ系アメリカ人数学者のN. レヴィンソン(1912–1975)がマサチューセッツ工科大学(MIT)に職を得るにあたり、(その頃のアメリカの多くの大学がそうであったように)反ユダヤ主義の牙城だったMITに彼を採用させるため、ハーディはMITを訪問し副学長と面会して、皮肉を交えながら説得を行ったという。数か月後、レヴィンソンは採用通知を手にした。

その本はマリー・コレリの本の大部分より劣悪だと思う

M. コレリ(1855–1924)はイギリスの作家。1886年に『二つの世界のロマンス』(A Romance of Two Worlds)でデビュー。当時非常に人気があったが、一方で評論家からは低俗文学という評価を受けた。

チェスタトン

ケンブリッジ北東の地域。

セカンド・ラングラー、そしてシニア・クラシックとなり/通常の学位オーディナリー・ディグリー本項全体で、Kanigel, The Man Who Knew InfinityのWashington Square Press版128–136ページ(4.4節)、同155–156ページ(4.6節)、およびThe Student's Handbook to the University and Colleges of Cambridge, First Edition, 1902を参考にした。

ラングラーは、ケンブリッジ大学における優等学位試験「トライポス」、正確には「数学トライポス・パートI」で上位の成績を収めた者に与えられる称号。クラシックは「古典トライポス」の成績上位者のことをいっているのだと考えられる(この呼称が一般的に使われたものかどうかは不明)。シニアは首席、セカンドは次席。

数学トライポス・パートIは通常は入学して3年目の年度末に受験するものだったが、2年経過時点で受験することも可能で、優秀な学生はしばしばそうした。ハーディも同様に、入学2年後の1898年にトライポスを受験し、第4ラングラーとなった。

さらに「数学トライポス・パートII」がおかれていたが、これは全員が受けるものではなかった。3年目にパートIを受験して合格した者はそれだけで学位を得られたので、多くの学生はそうしてそのまま大学を卒業した。3年目にパートIを受けた者のうちの希望者と、2年目にパートIを受けた者が、さらに勉強を続けてパートIIを受験した。ハーディは1900年にパートIIを受験し、このときは首席となって、即座にトリニティ・カレッジのフェローの地位を得た。

以下では、数学トライポス・パートIのことを単にトライポスという。

トライポスの結果を示す階級は、ラングラーより下には「シニア・オプティミーズ」、「ジュニア・オプティミーズ」が続いた。トライポスとは別の試験によって学位を受けた者、またトライポスを受験してジュニア・オプティミーズの基準に達しなかったが試験官が特に認めた者に与えられたのが「オーディナリー・ディグリー」だった。

その頃のトライポスは全部で8日間にわたる大変な試験で、かつ競争を煽るようなものだった。ラングラーの上位数名には実質的に将来のキャリアがほとんど約束されていた。シニア・ラングラーはスター扱いで、学年末のケンブリッジではその写真が売られたほどだった。学生たちは、それぞれのコーチについて、大部分の時間を(J. E. リトルウッドによれば3分の2の時間をBollobás (ed.), Littlewood's Miscellanyの83ページ。)トライポス対策にあて、競走馬のように、時間制限のもとで問題を解く訓練に励むのだった。

これはケンブリッジ大学の数学教育に歪みをもたらしていて、学生たちはトライポスの役に立たないからといって講義には出席せず、多くの学生は教授の顔すら見たことがないというありさまだった。興味を持った分野があっても、トライポスに出題されないのならそれを追究するには思い切りが必要だったし、教師も奨励しづらかった。

ハーディはトライポスがイギリスの数学の発展を妨害していると考えた。1907年頃ハーディはトライポス改革のために設置された委員会の書記となり、1910年、トライポスにおける順位の発表を中止し、ラングラー、シニア・オプティミーズ、ジュニア・オプティミーズという大雑把な階級のみを発表する形へと変更することに成功する。

さらにハーディはトライポス自体の廃止を目指したが、これは実現しなかった。1926年にハーディはイギリス数学協会(Mathematical Association)会長として、「数学トライポスへの反対弁論」(The case against the Mathematical Tripos)というタイトルで講演をしているが、その中で、トライポスは「改革」ではなく「廃止」されるべきだということが強調されている。

私の目を初めて開かせたのはラヴ教授であった

A. E. H. ラヴ(1863–1940)はイギリスの地球物理学者、数学者。弾性体の理論で知られ、地震波のラヴ波にその名を残している。1886年にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジのフェローとなった後、1899年にはオクスフォード大学に教授として移籍した。

ジョルダンの有名な『解析学教程クール・ダナリズ

C. ジョルダン(1838–1922)はフランスの数学者。群論の研究を行った。É. ガロワの遺した仕事を多くの人が理解できる形にし、発展させたのはジョルダンである。

『解析学教程』(Cours d'analyse)は正式には『エコール・ポリテクニーク解析学教程』(Cours d'analyse de l'École Polytechnique)で、1882年から1887年にかけて出版された三巻本。K. ヴァイアシュトラス(1815–1897)やR. デデキント(1831–1916)の手法による厳密な解析学をフランスにもたらした。

トラファルガー広場のネルソン記念碑

トラファルガーの海戦で戦死したH. ネルソン(1758–1805)を記念して建造された。ロンドン中心部にあり、高さ46メートルの大理石柱の上に高さ5.5メートルのネルソン像が載せられている。

訳者あとがき

原著は1940年にケンブリッジ大学出版局から出版され、またその後、C. P. スノーによる長い「序文(Foreword)」を加えた版が1967年に出ました。この翻訳では1967年版を底本とし、ハーディの書いた部分のみを訳出しています。ハーディは1947年に死去しており、その著作については日本における著作権保護期間が終了しているため、翻訳を特別な許可を得ることなく公開するものです。

訳文の検討にあたり、宮谷和尭さんに大きなご助力をいただきました。感謝いたします。

なお、初めにも触れたとおり、柳生孝昭さんによる翻訳が『ある数学者の生涯と弁明』として出版されていますが(現在は丸善出版から)、そちらにはスノーの「序文」も収録されています。「序文」に興味がある方は、ぜひそちらもご覧ください。

第2版における追記

初版を完成させて以来、数人の方に誤記等を指摘していただき、また明らかな誤訳もいくつか発見したので、適当な時機にそれを反映するつもりでいました。そんな中で時枝正さんに幾度にもわたって関係するお話を伺う機会を得て、さらに文献をご紹介いただき、このことにより内容の理解が著しく深まったため、改訂を大幅な訳注の増補を伴う形で行うことにしました。

時枝さんを初めとして、助けていただいた方々に感謝します。記述の正確性、適切さについては、もちろん訳者に全責任があります。

訳注の冒頭には、本書の記述は無批判に受け入れるべきものではないということを書きました。付け加えると、本書に底流する男性中心主義的な感覚も、過去の遺物というべきでしょう。数学について少し違う角度から見るための本の一例として、イアン・スチュアート『若き数学者への手紙』(Letters to a Young Mathematician)をお薦めします。現在、冨永星さんによる翻訳がちくま学芸文庫から出ています。

ライセンス

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