オール・リゲティ・プログラム

東京フィルハーモニーの演奏会に行ってきました。ジョルジ・リゲティという作曲家は今回初めて知ったけれど、「ああ、これだよ!」といった感じだった。誰かが「あなたこういうの好きでしょう?」と教えてくれた曲が、まさに好みだった。みたいな。あ、映画「2001年宇宙の旅」でこれらの曲が使われているそうなんですが、観ていないんです。


実に“現代音楽”ではあるのだけれど、ほどよい緊張感を保ちつつ、しかしついていけないとは感じさせない、絶妙のバランスを実現した曲たちだった。こう書くと、リゲティが聴衆に妥協したみたいだけど、そういうわけでもない気がする。どちらかというと、彼の音楽的なアイディアがそういう性格のものだったんだと思う。

演奏されたのは、《ルーマニア協奏曲》、〈永遠の光(ルクス・エテルナ)〉、〈アトモスフェール〉、《レクイエム》の4曲。そのうち、《ルーマニア協奏曲》はハンガリーで作曲され、残りの3曲はオーストリアに亡命してから作曲されたそうだ。《ルーマニア協奏曲》も楽しいのだが方向性がだいぶ違うので、ここでは〈永遠の光〉、〈アトモスフェール〉、《レクイエム》について。

音楽は時間芸術であるという表現があるけれども、その“時間”がうまく利用されていた。比較的息の長いハーモニー(というかノン・ハーモニーというか)が続くのだが、それを構成する各声部は、声部ごとに異なる微妙なタイミングで、少しずつ変化する。「ミクロ・ポリフォニー」と言うのだそうだ。聴き手は変化を丹念に追おうとする。僕はその作業を通じて、水中に潜り、音の揺れを聴き取りながらゆったり泳ぎ進むのに似た感覚を持った。あるいは、多少いいかげんな表現をすれば、時間軸上に載った音たちが空間のほうに展開されてくるような。

あと、《レクイエム》では、ソプラノとメゾ・ソプラノのふたりの女声ソリストが、他の楽器と同時に同じ高さの音で発声(発音)する場面が何回かあって、それも独特の効果をあげているのだった。メゾ・ソプラノ+トランペットとか。

〈永遠の光〉、〈アトモスフェール〉、ともに最後の音が鳴った後も、指揮者のコヴァーチュさんは無音の小節をしばらく続けた。これは楽譜にあるとおりなのかな? たぶんそうなのだろう。聴き手は、自分自身のフィジカルな集中のレベルがゆったりと落ちるのを感じる。そこまで含めて“演奏”になっているのだと思う。(こういう“無音の時間の重要性”というのは、他の曲でもしばしばあること。聴きに来る人が、みんなわかってくれると嬉しいんだけど。)


これ、東京オペラシティで聴いたことも良かったのだと思う。昔、初めてこのホールにコンサートを聴きに来たときに、「ここの音響好きだ」と感じたことを思い出していた。音がホールを満たしてくれて、こういう曲には絶対に合ってる。