游書体がiBooksにやってきた

AppleがiPad miniを10月24日に発表した数日後、レビュー記事を読みたいなと思ってGoogleで検索していたら、「iBooks 3.0リリース、游明朝体、游ゴシック体が搭載された」というニュースが目に入ってきました。えっ、と思わず声を上げそうになる。これ同じイベントのなかで発表されてたのかな? まあ、アメリカのイベントでのプレゼンテーションで、まさか日本語フォントのことになんて触れないか。でも、日本にとっては重大事件だ。むしろこっちが本編じゃないか!

游明朝体は、ヒラギノを作った字游工房が、書籍の本文用に使われることを想定して制作した明朝体。合い言葉は「藤沢周平の時代小説を組む」で、透明感のようなものを感じる書体です。発売された時期は太さ(ウェイト)ごとに異なり、まずRが2002年。次いでL・M・Dが2005年、字種拡張されたPr6 Rが2011年、Pr6 MとPr6 Dが2012年に発売。

一方の游ゴシック体は、游明朝体と一緒に使うゴシック体として作られ、L・Hが2008年に発売。M・Bが2009年、R・D・Eが2010年に出ました。

出版物での使用例は……たくさんあるのだと思いますが、具体的にはそんなに知りません。京極夏彦がいくつかの作品で使っているらしい(京極夏彦は自分で組版までやるっていう話)。あと、いつだったか、「内田樹の『下流志向』の表紙が游明朝体Lだ」という情報も見かけた気がする。今ちょっと手元にないんで、Google画像検索で出てきた画像を眺めてみたけれど、それで正しそうだ。ただし、かなは游明朝体五号かなっぽい。

サントリーでは企業制定書体として游明朝体を使っているそうです(少し手が加えられているので、正式には「サントリー明朝体」)。Windows Phone 7.5はシステムフォントとして游ゴシック体を採用し(公式には「Yu Gothic」という名前の別フォントだそうだけど)、紀伊國屋書店Kinoppyが游明朝体を載せた。他にもあったら教えてください。

そういう游書体ですが、iBooksで採用されたことで、多くの人が游明朝体や游ゴシック体を他の書体と比較しながら使うことになるんだなー、と思いを馳せるわけです。具体的に言えば「ヒラギノ明朝と游明朝体」を、あるいは「ヒラギノ角ゴと游ゴシック体」を見比べる。実はKinoppyでも同じ状況ではあったのですが、Appleが採用したとなると、それに触れる人の数は、Kinoppyの場合とは桁違いなんじゃないでしょうか。iBooks Storeでの日本語書籍の販売はまだだけど、それが始まれば、なおさら。

Windows Vistaにメイリオが搭載されたとき「MSゴシックよりいいよね」ってけっこう話題になったと記憶しているけれど、そのときと違うのは、ヒラギノ書体と游書体は、両方がプロユース、商業印刷で使われるレベルだってことなんですよね。どちらも高品質で、しかし性格が異なる。そういう2書体を見て、「書体の違いによって、印象って変わるものだな」ってことを話題にする人がそれなりに増えるのかなあ。……本当にそうなったら、すごいことだ。

游明朝体や游ゴシック体の特徴は、こんなところでしょう。

  • まず、「有機的」である。つまり、やわらかく、“ふところの狭い”デザインを持っている。
  • 有機的でありながらも、癖が少ない。汎用性を持っている。

やわらかくふところが狭いというのは、たとえばヒラギノと見比べてみるとわかります。こういう特徴を指して、一般に「有機的」とか「オールドスタイル」とか言ったりするらしい。対義語は「幾何学的」、「モダンスタイル」。

上は游明朝体とヒラギノ明朝の比較(ウェイトが合っていませんが、これしか持っていないので)。テキストは近藤聡乃『不思議というには地味な話』より。このタイトルに合わせるなら、游明朝体だなって思います。

ヒラギノみたいなのを「幾何学的」って言うのかー、なんでだろう、と思ってしまうのですが、それはこういうことでしょう。欧文書体では、幾何学的と言われる代表例はFutura。直線や円に近いエレメントの組み合わせによって描かれていることがわかります。これが、書体デザイン用語としての「幾何学的」がもともと指している特徴。

その一方で、直線や円にとらわれないエレメントを持つ書体が「有機的」であると言われるわけです。和文書体の場合には、本来の意味で「幾何学的」な書体をつくるのは難しそうですけど、幾何学的な欧文書体が自然に持つ「ふところの広さ」に着目するなら、その点で似ている和文書体はあります。だから、和文書体の場合はそういうものが「幾何学的」「モダン」と言われるようになったんじゃないかな。(もしかしたら勝手な理解をしてる部分もあるかもしれません。)

有機的な書体は、その“艶”がともすると古めかしいだけに見えてしまったりして、使いどころを選ぶ傾向があります。ですが、游明朝体、游ゴシック体は、有機的でありながら、癖があまりなくて、「地味なんだけど根本的なところで明るい性格を持ってる人」みたいでいい感じです。

游書体を使った組版の例は字游工房の公式ページで見ることができます(游明朝体游ゴシック体)。あと、次に挙げる2つのページも面白いです。

2つめは游明朝体ではなく筑紫明朝や筑紫オールド明朝に関するページですが、他のさまざまな明朝体との比較が載っているので、游明朝体の位置も見えてきます。